赤雪山登山口9:30-(0h45m)-赤雪山10:15/30-(1h05m)-568m峰11:35/11:50-(1h15m)-仙人ヶ岳13:05/40-(0h45m)-561m峰14:25/35-(0h25m)-490m付近15:00/15:10-(0h40m)-林道出会い15:50-(0h25m)-赤雪山駐車場16:15
足利市の郊外の松田川ダムをめぐるように続く稜線には赤雪山と仙人ヶ岳の2つの頂があります。何れも栃木百名山に名前を連ねる頂で春先にはアカヤシオなどの咲く山としてガイドブックなどにも紹介されています。
源平時代足利には藤原秀郷の流れをくむ藤原姓足利氏と、源義国を祖とする源姓足利氏の2つの足利氏があった言います。藤原姓足利又太郎忠綱は宇治川の戦いで平家側に組し活躍した武将です。そののち源姓足利義兼の怒りを買い赤雪山に逃れたものの、雪のため追手に見つかり血で雪を赤く染めたと言います。このため赤雪山は地元ではあけきやまとも呼ばれてると道標に紹介されていました。
ゴールデンウェークの最終日、赤雪山の駐車場は思いのほか閑散としています。
駐車場からは沢沿いの道を緩やかに登り始めます。登山道沿いには春の日を一杯に浴び、ヤマハハコやムラサキサギゴケなどの花が咲いています。釣りざおのような長いひげを伸ばしたウラシマソウも彼方此方に。
程なく登山道は暗い杉林の中を登るようになります。ジグザグを切りながら登り詰めた稜線は長石林道からの道を合わせるところです。ここからは雑木林の明るい急坂を登って行きます。
たどり着いた赤雪山の山頂は小さな広場と言ったところで立派な山頂標識と東屋が建っていました。南側は開けていましたが霞んだ空の下からは展望を期待すべくもありません。
赤雪山からは若葉色の尾根歩きが始まります。地図の上に見えるコブだけでも6ツ、小さなアップダウンを繰り返しながらの明るい尾根道を仙人ヶ岳へ向かいます。途中には仙人ヶ岳へ1.3kmなどと記された大きな道標が建っていました。
木につかまりながら急な坂道を下り小さく登り返すと栃木と群馬の県境の稜線です。ここからも小さなアックダウンの稜線歩くが続きます。小さな岩場を越えると若葉色の稜線の先に仙人ヶ岳の山頂が見えてきました。
山頂手前の見上げる岩場は左手を巻きながら稜線へと登って行きます。松田川ダムへと下って行く道を左に分け、急な登りにジグザグを切ると仙人ヶ岳の肩にたどり着きます。ヒグマの分岐から登ってくる道を左手から合わせると山頂は目の前です。
大きな山頂標識が建つ仙人ヶ岳の山頂は木立に覆われた稜線の上で視界は期待できません。山頂の先には黒川ダム方面への縦走路が続いているようで木立の陰には小さな道標がありました。
仙人ヶ岳の肩で昼食ののち松田川ダムへと下ることにします。登山道は小さなアップダウンを繰り返しながら稜線を下って行きます。
この稜線は数年前に山火事があったところです。登山道沿いのクロマツは根元が黒く焼け焦げています。おそらく下草に火が付いて燃え広がったのでしょうがかなり広範囲に山火事の跡が広がっていました。
ヒグマの分岐で生満不動へと下る道を右に分けます。この道は数年前に岩切から仙人ヶ岳へと登った時に登ってきた道です。ここからも小さなアップダウンを繰り返すと知の岳と呼ばれる展望の開けたピークにたどり着きました。
知の岳から下るのふみ跡には幾つかの足跡が続いていましたがその先は不明瞭になってきます。ここは道間違いのしやすそうなところです。松田川ダムへと下る道は小さな道標の傍から急なふみ跡を下って行くことになります。
木の根につかまりながら下って行くふみ跡は岩混じりの痩せた稜線を登り返して小さなピークを越えて行きます。さらにふみ跡は小さなコブの手前から植林帯の中を急降下します。ザレた急坂は滑りやすく思わず足にも力が入ってしまいそうです。
急な下りの疲れ始めるころ荒れた林道にたどり着きました。しばらく下ると湖畔のキャンプ場です。ゴールデンウィーク最後の休みを楽しむ家族連れの賑やかな声がキャンプ場に広がっていました。
湖畔を約半周、キャンプ場からは20分ほどで車を停めた駐車場にたどり着きました。車の戻りしばらくすると大粒の雨が、午後から大気の状態が不安定になると言う天気予報が出ていましたが空には黒い雲も広がっていました。
Gpslogの一部は電池切れで欠測しています。