阿蘇山塊は日光前衛の山として山岳宗教の影響を色濃く残した山域です。石裂山もまた山麓の加蘇山神社を中心とし、山岳宗教の遺構を数多く残すところです。またこの山は急峻な岩壁に覆われた山で、標高900mにも満たない低山でありながら、中ノ宮から東剣ノ峰、西剣ノ峰にかけてハシゴや鎖場の連続する岩登りのコースとして、ガイドブックなどにも紹介されているところです。
浅草から東武日光線で新鹿沼の駅へ。近くにはたくさんのゴルフ場があるようで、駅前には何台ものクラブバスが列車から吐き出されたゴルファーを待っていました。駅前から石裂神社行きの関東自動車バスで約50分。たどり着いた石裂神社には立派な社殿が建っています。しかし駅からここまでバスに乗ったお客さんは我々2人だけ。この一帯はかなり過疎化が進んでいるようです。
石裂神社の立派な社務所から、うっそうとした杉木立の参道を加蘇山神社へと登って行きます。しばらく車道を登ると石裂山の無料駐車場。すでに5~6台の自家用車が停まっていました。
右手の苔むした急な石段を登ると、千数百年前から鎮座されていたという古びた加蘇山神社の社殿です。ここからは杉木立の登山道を緩やかに登って行きます。苔むした石橋を何度か渡り返すと竜ヶ滝の休憩所。古びたあずま屋が建っていました。
道はここから左手の小沢を緩やかに登って行きます。しばらく登ると天然記念物に指定された千本桂。高さ20mという巨木は一根千幹の神木と言います。
しばらく登った中ノ宮からは本格的な岩場の連続となります。最初の岩場は行者返しの岩場。見上げるような岩場に鉄製の梯子と20mほどの鎖が張ってありました。急な岩場を登り詰めると正面に大岩壁が立ちはだかっています。この岩壁の洞穴内奥深くには、加蘇山神社の奥ノ宮が祭ってありました。
登山道は左手の急な巻き道を尾根筋へと登って行きます。木の根を頼りに登り詰めた痩せ尾根は、かなりの高度感もあり小さなスリルが楽しめるところです。急な尾根道を登り詰めると髭スリ岩。右手がスパッと切れ落ちた岩場のトラバースもまた気が抜けないところです。さらに枯れ葉の降り積もった急坂をジグザクに登っていくと、分岐点のある主稜線上にたどり着きました。ここから東剣ノ峰までは、心地よい尾根道をひと登りです。
たどり着いた東剣ノ峰は視界が大きく開け、目の前に阿蘇山塊の山々を見渡すことができるところです。しかし今日はあいにく曇っているため遠望は望めません。ここからの下りは約20mほどの垂直に切り立った岩場。鎖を頼りに急降下します。細かいホールドがたくさんあり、比較的下りやすいもののやはり緊張するところです。
登り返した次の頂が西剣ノ峰。正面の松の木を利用した展望台からは視界が大きく開け、正面にはこれから登る石裂山、右手には日光の山々が春霞みの空の下に霞んでいます。西剣ノ峰からは再び急な下り坂を下って行きます。長い鉄製の梯子が架かっていましたが、ここもなかなか緊張するところです。
鞍部から木の根を頼りに登り返した稜線上には石裂山への分岐点。三角点のある山頂はここから左へ少し入ったところにありました。山頂からの展望は比較的素晴らしく、右手には日光の山々。左手には足尾山塊の山々が霞んでいます。ここでコッヘルを出して昼食としました。
昼食の後、植林帯の尾根道を月山へ向かうことにします。登り返した小さな頂は月山の山頂。小さな祠と石造りの鳥居が建っていました。雑木に囲まれた山頂は右手が伐採され、遠く日光の山々霞んでいまし。しかし期待した男体山や女峰山などはその姿を見せてくれません。
山頂からは露岩の多い尾根道を加蘇山神社へと下って行きます。なかなか急な下り坂で鎖が張っているところもありました。しばらく下ったところから登山道は右手の沢に下って行きます。以前の登山道は尾根通しに下って行ったようですが、現在は廃道になっているようです。しばらく暗い沢沿いの登山道を下って行くと、今朝分かれてきた休憩所にたどり着きました。
石裂神社のバス停からの新鹿野駅行きのバスは一日に3本。午後の便は最終でもある15時30分のみ。約1時間近くの待ち時間があります。取りあえず法長内のバス停まで舗装道路を歩くことにしました。
石裂神社から法長内に向かう道端で座禅草の群落を見つけました。ミズバショウとおなじ雪解け直後の湿原に咲く花です。茶褐色の花は若干グロテスクな感じがしますが、いかにも僧侶が茶褐色の法衣をまとい座禅をしている姿を連想させる花です。