『東京都墨田区墨田にある曹洞宗の寺院です。通称「赤門寺」と呼ばれ、鮮やかに朱塗りされた山門が特徴です 。』(ChatGpt.2025/7)
《庚申塔(寛文十二年十一月一日銘)》
十干十二支で庚申は六十日に一度めぐってくる。この日の夕に斎戒沐浴して供春し、一夜を寝ずに明かす行事を「庚申待」という。人の中に潜む三しという虫がこの夜の眠っている間に抜け出し、人界ての諸悪を天帝に告げるため、人は寿命を縮めるとされている。
近隣の者たちが供物(馳走)を持ち寄り、庚申のを礼拝し、日ごろの話題に談笑いたりして夜明けを待つ。 また、この夜は村人にとっては数少ない楽しみのひとつでもあった。
この庚申塔は区内てもかなり大きなものであり、舟型 光背・蓮華座に釈迦如来像を配し、台座にも三猿を彫出していて、逸品に属する。銘を「寛文十二壬子歳十一月一日奉造立庚申侍供養現当二世安楽所敬白」とし、 主尊の両側には旧隅田村の有力者名が二十七名も彫られており、多数の村人たちが結集し、信心の証しとして造立したことがわかる。
平成六年三月 墨田区
禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。
東方浄瑠璃世界の教主。人々の病患を救うとともに悟りに導くことを誓った仏で医薬の仏として信仰される。右手に施無畏印(せむいいん)を結び、左手に薬壺(やっこ)を持つ。脇侍に日光菩薩と月光菩薩、眷属として十二神将が配される。
鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。