橋本駅9:50~橋本棒杭10:08~橋本五差路10:15~神明坂10:38~庚申塔10:48~聖徳太子・庚申塚11:34~しろ坂11:37~大鷲神社11:52~久所の渡し11:55~小沢城址・諏訪神社12:05~還浄寺12:08~小沢城址・山城12:39~大塚地蔵尊12:56~かつ庵12:55/13:20~半縄辻の石仏群14:19~半縄の薬師堂14:25~才戸の渡し14:53~神奈川工科大学15:25~日吉神社(下荻野子合)15:32~日吉神社15:47~法界寺15:57~千頭交差点16:25
八王子通大山道の街道歩きは橋本から本厚木手前の千頭交差点まで20kmほどの街道歩きです。この間、大山道は東側の国道129号線、県道508号線沿いをたどる道と、西側の県道63号線(相模原大磯線)をたどる道に分かれます。何れも相模川を渡る才戸の渡しで合流することになります。
橋本駅の南口には工事用フェンスに囲まれた「さがみはらリニア広場」、ここには2027年までにリニア新幹線に駅ができると言います。かつての大山道は町の開発で失われているようで住宅地の中に橋本棒杭と呼ばれる大山道標が建っていました。
国道16号線を南に、橋本五差路は国道16号線、国道129号線が分かれるところです。地下歩道を渡り県道63号線を南に向かって歩くことにします。
しばらく歩くと明神坂、目の前には大山の山頂、その前に連なるのは経ヶ岳など前丹沢の稜線でしょう。
さらに歩くと塚場の夜泣き地蔵や古い庚申塔があります。安永4年と読める庚申塔は風化が進んだのか鉄の帯で補強されていました。
ここからは単調な街歩きです。最近完成したのかAmazonの大きな物流センター、三菱重工の工場などもあるところです。県道54号線が交差する田無交差点には2体のお地蔵さんが祀られていました。
たくさんの資材などが積み重ねられたところには古い石塔が祀られています。かつて薬師堂があったと言われるところで、聖徳太子塔は文政3年(1820年)建立と言います。笠付きの庚申塚とこれを巻くようにたくさんの無縫塔(卵塔)がありました。無縫塔は禅僧の墓と言われるのでここに禅寺があったのでしょう。
県道63号線から相模川へと下って行く道はしろ坂、この坂の岩肌が白かったことから名付けられたと言います。坂を下ると古い石仏群が祀られています。石面は風化し文字を読み取ることはできませんでした。
田名の町並みの中には赤い鳥居が建っていました。広場の奥には大鷲神社と白子園稲荷の社が祀られています。しかし現地には由緒書きなどもなく詳しいことは判りませんでした。
やがて道は相模川を渡る高田橋へ、橋の傍には久所の渡しの石碑と鮎供養塔がありました。
高田橋を渡ると石垣の上に諏訪神社が祀られています。ここは相模川に接する要害の地で武蔵七党の一つ横山党小沢氏の居城があったところです。小沢には2つの城址がありこちらは小沢古城と呼ばれています。
諏訪神社の傍には浄土宗の還浄寺があります。境内には子供のような作りをした六地蔵がありました。
小沢坂の旧道は県道63号線へと登って行く道路、4WDでなければ登れない細い道であったようですが土砂崩落で通行止めになっていました。
仕方なく県道63号線の途中から城坂をたどりもう一つの小沢城跡へ向かいます。中津原台地の突端に築かれた山城です。広い平坦部に本郭があったのでしょうが畑地として開墾が進められ土塁や掘割などの痕跡はありませんでした。
県道63号線は伊勢原方面へ右折、この付近の地下には圏央道が通っています。交差点近くの墓地の中には大塚地蔵尊が祀られていました。
近くのかつ庵で少し早い昼食です。あまり店の数は多くないようですがゼンショ―グループのチェーン店です。人手不足に対応するためセルフレジのほか配膳ロボットなども使用されています。飲食業界の競争はますます厳しくなっているようです。
大山道は県道63号線を離れ春日台の住宅地の中を進むようでしたが、誤って県道63号線をそのまま歩いてしまいました。
県道を離れ住宅地の中の判り難い道、ちょうど子供たちの下校時間のようでランドセルを背に元気な子供たちが走っています。半縄の住宅地の中には道祖神、馬頭観音、庚申塔などが祀られていました。
近くの公園に祀られた薬師堂の中には縄文時代の石棒が祀られています。案内板によると大きな石の棒で信仰に関係するものとされていますが異説るようです。
道は排水路橋と言う陸橋へ、旧相模陸軍飛行場の排水路に用いられた遺構で、飛行場が雨天でぬかるみにならないように作られたと言います。現在工業団地となっている一帯が飛行場で、中津飛行場や厚木飛行場、相模原飛行場とも呼ばれていたようです。
その先の暗い林の中には明神社が祀られていました。神社の管理も行われていないようで社殿はかなり荒れていました。
やがて道は中津川を渡ります。ここは才戸の渡しがあったところです。ここは橋本五差路で別れた国道129号線、県道508号線沿いをたどる道と大山道が合流するところです。
橋を超えると厚木市、汚水マンホールの蓋のデザインも変わってきます。しばらく歩くと神奈川工科大のキャンパス、学生など行きかう人も多くなってきます。途中、下萩野子合の日吉神社に立ち寄ります。近くの子供たちが遊ぶ鎮守の神社といった雰囲気の神社でした。
さらに新宿日吉神社に立ち寄ります。ここは新宿と呼ばれ市場があったところで大山道と甲州道が交わる交通の要衝でした。
僅かに歩くと法界寺があります。北条氏直が家臣に命じ開山したと言う古刹です。境内の奥には大きな本堂がありました。
早い秋の日は大山の稜線に沈み始めています。近くの千頭交差点近くのバス停で本厚木駅に戻ることにしました。たくさんの人で賑わう本厚木駅の駅前には小さなイルミネーション、色とりどりの行灯が吊り下げられていました。