高田橋を渡ると石垣の上に諏訪神社が祀られています。ここは武蔵七党の一つ横山党小沢氏の城址と言います。
wikipediaによると「標高80メートルほどの丘陵地帯に立地し、城の北東側はすぐに相模川右岸に接する要害の地である。東に相模川が迫り、南と西、北側を丘陵の稜線に囲まれすり鉢状の窪地となった場所を「城の内」と呼んで曲輪とし、周囲の稜線を天然の土塁とする古い形態の城という」
《小沢古城址・愛川町教育委員会》
小沢には二つの城址があり、そのうちの一つは当地の豪族小沢氏の館跡である。小沢氏は、平安時代の末期から鎌倉時代にか けて活躍した武士団武蔵七党のうち、八王子を拠点にして栄えた横山党の一族で、代々ここに館をかまえて支配した。対岸の田名氏、上流の小倉氏も共に横山党の一族であった。
東方は断崖をもって相模川にのぞみ、西方は沢の渓流に接し、北方は三栗山の峰に連なり、南方は展望を良くしていた。館への入口は西方の沢に橋を架け、そこから登板して正門に至ったという。以前には、架橋跡・門跡などがあったと伝わるが今はない。