大山ケーブルバス停9:30~(こま参道)~大山ケーブル駅9:55/10:00=(大山ケーブル)=阿夫利神社駅・阿夫利神社下社10:05/15~表参道4丁目10:25/30~909m付近11:00/10~16丁目・追分11:30/40~富士見台12:00~イタツミ尾根分岐12:20~大山山頂12:30/13:10~見晴台14:35/50~二重滝15:15~大山ケーブル山頂駅15:25/40=(大山ケーブル)=大山ケーブル駅15:45~(こま参道)~大山ケーブルバス停16:00
大山街道の街道歩きは阿夫利神社下社から大山の山頂です。
たどり着いた大山ケーブルバス停からこま参道を登って行きます。9月中は35度を超える酷暑が続いていましたが数日前から秋の気配が始まっています。このためか、平日にもかかわらず大山の山頂を目指すハイカーも多いようです。
江戸時代の大山詣では現在の阿夫利神社下社(かつて大山寺)までの登拝で、上社(当時は石尊社)は夏の期間のみ入山が許されたと言います。また下社より上は女人禁止であったようです。表尾根の途中には女人禁制の石碑が残っていました。
大山ケーブルで阿夫利神社の下社へ、奉納碑が立ち並ぶ階段の上には朱色の拝殿が祀られていました。境内の案内板によると阿夫利神社のご祭神は大山祇神、高おかみ神、大雷神とか、高おかみ神は日本書紀にも現れる水神で、古来より祈雨・止雨の神として信仰されていました。
朱色の拝殿の裏手から表参道を登る登山道が始まります。祓い門をくぐるといきなり104段という急な階段です。手摺も整備されていますが思わず息も切れそうな登りです。
ここからは稜線に向かって暗いもみの林の中の登って行きます。短い間隔で現れる丁目石に励まされながらゴロゴロとした石が多い歩き難い急坂を登って行きます。8丁目には夫婦杉は樹齢5から600年の大木と言います。
家族連れ若者のグループなどたくさんのハイカーが山頂を目指しています。トレランの練習なのか小さなザックに水筒だけの若者も多いようでした。
丹沢は鹿が多いと言いますが目の前の斜面に鹿が、人を恐れることもなく平気で草を食べていました。休憩を繰り返しながら急な坂道に汗を流すと16丁目の追分道標です。
左手に下って行く道は蓑毛や南尾根へと続く道です。ここからは尾根道を登って行くことになるようで登りも少し緩やかになってきます。
木の桟道が整備された道を登ると富士見台、案内板には「江戸時代には茶屋が置かれ浮世絵にも描かれたところ・・」と書かれていました。期待していた富士山は僅かに雲の上にその頭を出しているだけです。
尾根道は明るい雑木林の中を登って行く道、すでに山頂から下ってくる人も多いようです。やがてヤビツ峠から登ってくる道を左から合わせると25丁目です。
急な岩交じりの坂道を登ると鹿が通れないと言うグレーチングの階段、わずかに登ると山頂直下の銅鳥居です。
阿夫利神社の奥宮が祀られた山頂には江戸火消しの石灯籠、雨降木(あめふりのき)と呼ばれるご神木のブナなど、大山古い信仰の歴史が今も残っているところでした。
山頂のベンチではハイカーがお弁当を広げています。目の前は伊勢原などの町並み、その先に都心のビル群が霞んでいるようですが気温の高い空の下では展望も今一つというところでした。
下山は雷の尾根コースを下ることにします。よく整備された登山道は木の階段が続く道です。思いのほか足にはきついもので、途中から足が痛くなってしまいました。
明るく開けた尾根道からは目のまえに湘南の海岸線、右手には登ってきた表尾根の稜線が見えています。
不動尻へと下って行く道を左に分けしばらく下ると登山道は急な山肌をジグザグを切りながら下って行くようになります。やがて滑落注意の看板、少し大げさな太い鎖が張られていました。
たどり着いた雷の尾根の展望台には東屋とベンチがあります。振り返ると大山の山頂に電波塔が見え隠れしていました。
ここからはヒノキ林の中をたどる道です。ここでも滑落の事故があったようで、登山道沿いには鉄のケーブルが張られていました。
沢音が近づいてくると二重滝、大山六滝の一つで雨乞いの滝とも呼ばれています。かつて修験者の行場であったとされまた江戸時代には新年早々、大工、鳶、左官などの代表者が下社に篭り二重滝に打たれ心身を清めてその年の賃金を決議したと言われています。
たどり着いた阿夫利神社駅からはケーブルカーで下りました。ここからバス停まではこま参道の石段、疲れた足には少し辛い下りでした。
日本神話に登場する神。別名 和多志大神、酒解神。日本書紀は大山祇神、古事記では大山津見神と表記します。
古事記では、伊弉諾尊と伊弉冉尊との間に生まれました。日本書紀では伊弉諾尊が軻遇突智を斬った際に生まれたとしています。
八岐大蛇に登場する足名椎(あしなずち)、手名椎(てなずち)や木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)の父であり天津神(あまつかみ)に対する大地の国津神(くにつかみ)として登場する神様です。山をつかさどる神で、水の神、田の神としても信仰されています。
神話の登場する神様、伊邪那岐神が迦具土神を斬り殺した際に生まれたとしている。罔象女神(みつはのめのかみ)とともに、日本における代表的な水の神である。古事記では淤加美神、日本書紀ではおかみの神と呼ばれる。
古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。
黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。
古事記に登場する神で、伊邪那岐尊、伊邪那美命によって生み出された最後の神です。出産時に伊邪那美命の陰部に火傷ができ、これがもとで伊邪那美命は死んでしまいます。怒った伊弉冉尊は十拳剣天之尾羽張(あめのおはばり)で殺してしまします。
迦具土神の血や死体からは多くの神が生まれました。
日本神話の神。出雲の国つ神大山祇神(おおやまつみのかみ)の子。妻は手摩乳(てなずち)。末娘の奇稲田姫(くしなだひめ)は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の妻となる。
日本神話に登場する神様。古事記では瓊々杵命(ににぎのみこと)の妻となります。富士山の神とされ各地の浅間神社で祀られています。子育ての神、子安神としても篤く信仰されています。
古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。
黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。
古事記に登場する神で、伊邪那岐尊、伊邪那美命によって生み出された最後の神です。出産時に伊邪那美命の陰部に火傷ができ、これがもとで伊邪那美命は死んでしまいます。怒った伊弉冉尊は十拳剣天之尾羽張(あめのおはばり)で殺してしまします。
迦具土神の血や死体からは多くの神が生まれました。