鶴間駅9:30~聞称寺10:05~基線南端点10:35~業務スーパー座間ひばりが丘店10:50/11:00~大山道11:20~相鉄ライフさがみ野11:30/12:05~山王稲荷社13:00/25~相模国分寺跡・海老名市立郷土資料館13:45/14:30~稲荷社14:35~伊勢山大神宮14:45~相模国分寺15:05~海老名駅東口七重の塔15:30~海老名駅15:40
大山街道の街道歩きは鶴間駅からです。通勤時間も過ぎた鶴間駅の駅前は人も多くありません。
ここからは大山道を離れ聞称寺へ、道端の電柱に道案内が出ていますが住宅地の中をたどる道はなかなか難しいものです。たどり着いた聞称寺は真言宗大谷派の寺院です。狭い小路の奥に山門もない民家のような建物、最近改築が行われたお寺のようでした。
近くにはさがみ野基線があります。Copilotによると「相模基線は、日本の三角測量の基点となる直線の一つです。神奈川県北東部に設定され、北端は相模原市南区麻溝台、南端は座間市ひばりが丘にあります。全長は約5.2キロメートルで1882年に測量されました。相模野基線を基に、日本全国の三角点網が作られました」とされています。
南端の三角点が近くの中宅地の中にあるということでGPSを頼りに、探し当てた三角点は民家の階段の下です。
ここは座間村という相模基線の南端、北端は連光寺村と呼ばれる三角点です。これと以前訪れたことのある長津田村にある高尾山の三角点により三角測量が行われたとされています。それをもとに鳶尾山、丹沢山、浅間山(高麗山)などの1等三角点の測量が行われたようです。まさに日本の測量がこの地から始まったということでした。
ここからは大山道に戻り舗装道路歩きです。古い街道沿いと言いながら開発が進んだのか庚申塚や道祖神なども見つからない単調な舗装道路歩きでした。
さがみ野駅で昼食ののち海老名を目指します。民家の屋根の先に大山の頂を眺めながら舗装道路を歩くとやがて海老名のビル群が見えてきます。ここで道を右に、住宅地の中を登っていくと山王稲荷神社の社です。
最近改築された社は簡素な造りです。境内の桜は河津桜でしょうか、すでに黄緑色の蕾が膨らんでいます。昨年に比べ1月の気温は暖かく最高気温が10度以下の日は昨年の半分とか、確かに春は目の前にやってきているようです。
海老名市内を歩くと国分町、交差点には逆川の石碑が立っています。現地の案内板によると逆川は大化の改新のころの灌漑用、輸送用に掘られたものと言います。近くの目久尻川を堰き止め分水したとされてますが、まったくの人力のみでの工事は大変だったのでしょう。国分寺の屋根瓦も逆川を利用して運ばれたと言います。
たどり着いた相模国分寺跡は広場の中に塔跡、金堂跡が残っているところです。礎石が保護されたところには七重の塔が経っていたと言います。伽藍の配置は東大寺式、国分寺式、代官大寺などがあるようですが相模国分寺は東側に金堂、西側に塔、北側中心部に講堂を配する法隆寺様式で全国でも珍しいものと言います。
近くには海老名市立郷土資料館がありました。国分寺の埋蔵物の展示のほか海老名周辺の農業の歴史、寺院の鐘楼の特別展示もありました。VRを使用した国分寺紹介があり展示にもITの技術が利用されているものでした。
国分寺からは近くの伊勢山大神宮へ、参道の石段は草が生い茂り社殿などはすでに取り壊されていました。
氏子などの少ない神社は維持が難しくなるのは仕方ないことで、神社の由緒書きにある合祀などはそのような歴史を伝えるものの一つ、合祀もされず草原の中に取り残された社も多くあるのでしょう。
最後は相模国分寺です。ここは高野山真言宗のお寺です。石段を上ると大きな本堂、そのわきには国の文化財に指定された梵鐘がありました。
最後は海老名駅の東口に、広場には国分寺にあったとされる七重の塔を1/3に縮小して再現したものと言います。七重の塔の前には海老名でただ一つというカラーのマンホールもありました。
今回の大山道歩きは海老名がGool、江戸時代、江戸から大山までは2から3泊で歩いたと言いますがなかなか大山の頂は遠いものです。