物部神社は物部氏の氏祖宇摩志麻遅命を祀る神社です。
物部氏は古くから大伴氏、蘇我氏と並んで大和朝廷の中枢を担ったが、仏教の崇拝をめぐった蘇我氏一派と争いに敗れ、以後勢力が衰えることになります。
物部氏は鉄の製造にたけた朝鮮からの渡来人であったとされます。日本各地に物部氏の氏族は分布し、長門守護の厚東氏、物部神社神主家の長田氏・金子氏(石見国造)、廣瀬大社神主家の曾禰氏の他、穂積氏、采女氏をはじめ、同族枝族が非常に多いことが特徴です。
宇摩志麻遅命は神武天皇の大和平定を助けた後、一族を率いて美濃国・越国を平定した後に石見国で歿し、社殿の背後にある八百山に葬られたと伝えられています。
日本海の海岸を走る国道9号線から離れ国道375号線の閑静な街並みをしばらく走ると物部神社です。
閑静な集落の中には大きな社殿、境内にはたくさんの摂社が建ち並んでいました。近くには石見銀山があることからか手水鉢は砂金を含んだと言う富金石で作られていました。
境内には宇摩志麻遅命が鶴に乗って石見に降臨したと伝えられることから鶴の像があります。また社殿の幔幕は神紋「日負鶴」が描かれていました。
拝殿の脇には勝石があります。宇摩志麻遅命が腰かけられ運紀がこもった石とされこの石をなでると勝ち運が授かると言われています。
古代の氏族。姓は連(むらじ)。物部の伴造(とものみやつこ)として軍事・刑罰を担当、4~5世紀以後大伴氏とともに大連を世襲して勢力をふるった。仏教受容に反対して蘇我氏と対立、守屋(もりや)が敗れて以後衰退する。
古代の豪族。5~6世紀に物部氏とともに大和朝廷の軍事力を担う有力な氏族となった。壬申の乱(じんしんのらん)に戦功があり、奈良時代にも名門貴族として朝政に加わったが次第に藤原氏におされた。
古代の豪族。武内宿禰(たけのうちのすくね)を祖とするというが未詳。大和朝廷の重臣として仏教など大陸文化の導入に貢献したが、大化元年(645年)蝦夷(えみし)、入鹿(いるか)父子は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)らに滅ぼされた宗家は滅亡した。
第1代の天皇(在位:前660年1月1日~前585年3月11日)高天原から日向に降った瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の曽孫で、鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の第4子。船軍を率いて日向を出発し瀬戸内海を東へ進み玉とを平定した。橿原宮で初代の天皇の位についた。陵墓は奈良県橿原市大久保町の畝傍山東北陵。
日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。
古代の豪族。武内宿禰(たけのうちのすくね)を祖とするというが未詳。大和朝廷の重臣として仏教など大陸文化の導入に貢献したが、大化元年(645年)蝦夷(えみし)、入鹿(いるか)父子は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)らに滅ぼされた宗家は滅亡した。
古代の氏族。姓は連(むらじ)。物部の伴造(とものみやつこ)として軍事・刑罰を担当、4~5世紀以後大伴氏とともに大連を世襲して勢力をふるった。仏教受容に反対して蘇我氏と対立、守屋(もりや)が敗れて以後衰退する。
672年、壬申の年、天智天皇の子大友皇子(おおとものおうじ)と同天皇の実弟大海人皇子(おおあまのおうじ)との間で起こった皇位継承をめぐる争い。一か月余の戦いの結果、大友皇子は自害し、大海人皇子が即位して天武天皇となり、以後大化の改新が一層強力に推進された。
古代から明治維新まで朝廷の中枢を占めてきた貴族。中臣鎌足(なかとみのかまたり)が大化改新に尽くした功で天智天皇から藤原姓を賜ったことに始まる。鎌足の子不比等(ふひと)は律令体制の推進に努め、娘宮子(みやこ)を文武天皇夫人に、光明子(こうみょうし)を人臣として初めて皇后に立て外戚として権力を振るった。
記紀によれば孝元天皇の子孫、日本最初の大臣です。神功皇后の新羅征伐に従軍し、景行、成務、仲哀、応神、仁徳の二百数十年間の天皇に仕えたと言います。蘇我、葛城、平群(へぐり)、巨勢(こせ)の4氏の祖とも言われています。
第38代天皇(在位:668年1月3日~671年12月3日)舒明天皇第二皇子。645年(大化1)中臣鎌足と図って蘇我そが氏を滅ぼし、皇太子として改新政治を主導。即位後は都を大津に移し、近江令を制定した。また庚午年籍(こうごねんじやく)を作り、律令体制の基礎を築いた。陵墓は京都府京都市山科区御陵上御廟野町の山科陵。
日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。