香取神宮は日本全国に約400社ある香取神社の総本社です。日本書紀のも登場する古い神社で、鹿島神宮とともに大和朝廷の蝦夷進出の拠点となった神社です。
香取神宮には初詣で訪れました。50万人が参拝するという神社はたくさんの人で賑わっていました。
香取神社の参道はたくさんの参拝客であふれています。参道を登って行くと朱塗りの楼門です。矢大神(やだいしん)・左大神(さだいしん)と呼ばれる随神像は近衛府の舎人(とねり)の姿と言います。
極彩色の彫刻で飾れらた拝殿に参拝します。最近が御朱印ギャルと呼ばれる若い子が多いようで御朱印受付所には長い行列ができていました。
奥の院の近くには要石があります。地震を起こす大鯰を抑え石と言うことで、鹿島神宮の要石は大鯰の頭を押さえ香取神宮の要石は尾を押さえていると言います。
近くには天真正伝香取神道流、飯篠長威斉の墓があります。室町時代中期に創始された兵法三大源流の一つです。剣術、居合、柔術、棒術、槍術、薙刀術、手裏剣術等に加えて、築城、風水、忍術等も伝承されている総合武術で、塚原卜伝や上泉信綱も神道流を修めたと言います。
日本神話の神。日本書紀のみに登場し古事記には登場しない。磐筒男神(いわつつのおのかみ)と磐筒女神の子。香取神宮の祭神です。天孫降臨に先立って出雲に行き大己貴命(おおなむちのみこと)を説いて国土を献上させた。
神社建築様式の一つ。屋根の前のほうが長く伸びて向拝をおおい、庇と母屋が同じ流れで葺いてあるのでこの名がある。
正面の柱が2本であれば一間社流造、柱が4本であれば三間社流造という。奈良時代末~平安時代に成立し広く各地に流布しました。
出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。
大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。