大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ) 
大麻比古神社は阿波国一の宮神社です。阿波国、淡路国両国の総鎮守として、現在は徳島県の総鎮守として信仰を集めています。
祭神は農業、産業の守り神である大麻比古大神と天孫降臨のとき道案内をした猿田彦大神です。大麻比古大神の孫である天富命が阿波忌部氏の祖を率いて阿波国に移り住みこの地を開拓しました。祖神を阿波国の守護神として祀ったのが大麻比古神社の始まりだとされています。
厄除け、方除などのパワースポットとしても有名で正月3ヶ日には30万人を超す参拝者で賑わうと言います。
近くの板東俘虜収容所には1000人ほどの第一次世界大戦で捕虜となったドイツ人が収容されていました。捕虜に対し人道的対応がなされ、地域住民との交流も積極的に行われたと言います。
1919年、ベルサイユ条約の締結により捕虜の本国送還が行われましたが約170人が日本に残り、収容所で培った技術で生計をたて、肉屋、酪農、パン屋、レストランなどを営んだ。現在よく知られているユーハイム(カール・ユーハイム)やローマイヤ(アウグスト・ローマイヤー)、そしてフロインドリーブなどは日本に残留したドイツ兵によって創立されたものでです。
境内の奥にあるメガネ橋やドイツ橋はドイツ人捕虜がドイツの技術を生かして作ったものとされています。
御祭神 大麻比古大神・猿田彦大神
由緒
神武天皇の御代、天太玉命の御孫天富命勅命を奉じて洽く肥沃の地を求め、阿波国に到りまして、麻楮の種を播殖し、麻布木綿を製して殖産興行の基を開き、国利民福を進め給い、その守護神として太祖天太玉命を此の地に斎き祀る。大麻比古神社は、太祖天太玉命と猿田彦大神の御神徳を称えで奉った御社名と伝えられる。
猿田彦大神は、昔大麻山の峯に鎮まり坐しが後世に至り本社に合せ祀ると伝えられる。延喜の制名神大社に列し、阿波国一宮と称え、阿波、淡路両国の総産土神として崇め奉る。
清和天皇貞観元年従五位上を授け奉り、順次進階して中御門天皇享保四年正一位に進み給う、斯く朝廷の崇敬厚く、又代々の国司領主の尊宗深く、神田山林を寄進、藩費を以って社殿の造営を行い、年々祭費を奉る。明治六年国幣中社に列す。 明治十三年国費をもって本殿以下の造営が行われた。現在の祝詞殿、内拝殿、外拝殿は昭和四十五年氏子崇敬者の寄進によって造営せられた。
大麻比古神社は、古来、方除、厄除、交通安全の神として霊験を授け給い県内外の氏子崇敬者から「大麻さま」「大麻さん」「大麻はん」と親しみをこめた御名で崇められ、厚い信仰が寄せられている。
祭礼多特殊神事
例祭
十一月一日 氏子崇敬者の奉仕によって神輿の渡御及び獅子舞の奉納などの神賑がある
奥宮例祭
八月十八日 大麻山頂に鎮座する奥宮峯神社の例祭が行われ、氏子崇敬者の奉仕によって神幸祭が行われる。八月十七日宵宮ら十八日早晩にかけて三回氏子宗敬者の安全を祈念ず大祈祭が行われる。
神迎祭
旧正月元旦、二日、三日、本殿に於て旧正月の神事が行われる。
湯立神楽
旧三月十二日 社務所前庭に湯竃を築き、忌火によって湯を立て、湯花を本殿に奉り、無病息災と五穀豊穣を祈念する。
神火大祭
二月分当日、氏子崇敬者が願旨を記して奉納した祈祷木と神火によって焼き上げ、除災招福を祈願する。
関連記録・コース日本神話に登場する神。天太玉命(あめのふとだまのみこと)のこととされます。占いの神、神事の神として信仰され、天岩戸の神話にも登場します。天孫降臨では、瓊瓊杵尊に従って天降るよう命じられ、五伴緒の一人として随伴しました。
日本神話に登場する神。天孫降臨に登場する神で、天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神です。伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したとされ、中世には庚申信仰や道祖神と結びつきました。
神社建築様式の一つ。屋根の前のほうが長く伸びて向拝をおおい、庇と母屋が同じ流れで葺いてあるのでこの名がある。
正面の柱が2本であれば一間社流造、柱が4本であれば三間社流造という。奈良時代末~平安時代に成立し広く各地に流布しました。
日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。
日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。
十干十二支の一つ庚申の日の禁忌を中心とする信仰。中国では道教の説で庚申の夜睡眠中に体内の三尸虫(さんしちゅう)が逃げ出してその人の罪を天帝に告げると言い虫が逃げぬよう徹夜する風習があった。