全国にある鹿島神社の総本社。千葉県の香取神宮、茨城県の息栖神社とともに東国三社のひとつです。創建は神武天皇元年と伝えられ宮中の四方拝でも拝礼される神社です。
鹿島神社の祭神は古事記のも登場する武甕槌神(たけみかづちのかみ)。武の神として古くから皇室や藤原氏の崇敬を受けています。
鬱蒼とする杉木立の参道を進むと朱塗りの楼門が建っています。参道を進むと拝殿、その奥に朱塗りの瑞垣をめぐらせた本殿が建っていました。
境内の奥には要石があります。地震を起こす大なまずの頭を押さえている石でいくら掘っても全容は堀り尽くせないと言われています。この地が古くから地震があったことなのかも知れません。
さらに奥には御手洗池があります。古くからみそぎの場で大人が入っても子供が入っても水面が胸の高さを超えないと言われているところです。
鹿島神宮は戦国時代の剣豪塚原卜伝ゆかりの地です。鹿島神宮に使える卜部一族として生まれ鹿島神宮に参籠して一の太刀を考案し、新当流を開きました。
生涯に合戦や果たし合いなど70回を越える真剣勝負を行ったものの一度も負けず軽傷すら負ったことがないと伝えられています。小説などで切りかかった宮本武蔵の太刀を鍋の蓋で受けたと言う逸話も残っています。
そびえる大鳥居をくぐると杉木立の中の参道が始まります。広大な森には杉のほかシイやタブ、モミの巨樹が生い茂りその種類は600種以上と言います。
朱塗りの楼門には左右に随神像があります。阿蘇神社、筥崎宮とともに日本三大楼門の一つに数えられ、寛永11年(1634)水戸初代藩主徳川頼房の造営になる建物と言います。
参拝客の行列ができる拝殿の奥には玉垣をめぐらせた本殿があります。これらの社殿は元和5年(1619)、徳川2代将軍の秀忠公が寄進したもので、重要文化財に指定されています。
最近は御朱印ギャルと呼ばれ御朱印帳を片手に神社に参拝する女性が多いようです。また一眼レフカメラを抱えたカメラ女子も多く見かけるようになりました。社務所の御朱印所には長い行列ができていました。
日本神話に登場する神様。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生した神です。国譲りでは経津主神(ふつぬしのかみ)とともに、葦原の中つ国に派遣されます。また神武東征においても、天皇の危難を救ったとされる神です。島神宮祭神です。
神社建築様式の一つ。屋根の前のほうが長く伸びて向拝をおおい、庇と母屋が同じ流れで葺いてあるのでこの名がある。
正面の柱が2本であれば一間社流造、柱が4本であれば三間社流造という。奈良時代末~平安時代に成立し広く各地に流布しました。
日本神話に登場する神様。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生した神です。国譲りでは経津主神(ふつぬしのかみ)とともに、葦原の中つ国に派遣されます。また神武東征においても、天皇の危難を救ったとされる神です。島神宮祭神です。
古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。
黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。
日本神話の神。日本書紀のみに登場し古事記には登場しない。磐筒男神(いわつつのおのかみ)と磐筒女神の子。香取神宮の祭神です。天孫降臨に先立って出雲に行き大己貴命(おおなむちのみこと)を説いて国土を献上させた。
古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。
黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。
日本神話の神。日本書紀のみに登場し古事記には登場しない。磐筒男神(いわつつのおのかみ)と磐筒女神の子。香取神宮の祭神です。天孫降臨に先立って出雲に行き大己貴命(おおなむちのみこと)を説いて国土を献上させた。