阿波一宮神社 


 寺社の種類:式内社(名神大)論社、阿波国一宮論社、旧県社
 創建の時期:建保5年(1217年)
 社殿の様式:流造
 所在地:徳島県徳島市一宮町西丁237
 訪問日:2011年5月24日、2017年9月26日

 

大日寺の向いは阿波一宮神社があります。元々は上一宮大粟神社(名西郡神山町)が阿波国一宮でしたが、参拝に不便であるため平安時代後期に国府の近くに分祠が作られ、こちらを一宮とすることになったと伝えられています。

祭神は大宜都比売命、天石門別八倉比売命。大宜都比売命は古事記に登場する女神で五穀を主宰する神様です。

境内には天下泰平と家内安全の2頭の神馬が祀られています。境内にはたくさんの摂社は祀られています。

神社の傍からは阿波一宮城への登山道があります。延元3年、阿波守護小笠原長房の4男、小笠原(一宮)長宗が築城した山城です。

豊臣秀吉の四国平定ののち阿波18万石を与えられた蜂須賀家政は、天正13年(1585年)一宮城に入城します。徳島城が築城されると蜂須賀氏は徳島城に移り元和の一国一城令により、寛永15年に廃城となったと言います。

 訪問日:2011年5月24日

大日寺への参拝に続き、車道を挟んだ阿波一宮神社に参拝しました。境内には大きな石塔や雌雄の神馬像、古い歴史を感じさせるたくさんの摂社などがありました。

一宮神社の鳥居
石造りの神橋
大きな石灯籠
参道の正面に拝殿
拝殿
境内には摂社が立ち並びます
神前に祀られる神馬像
神前に祀られる神馬像

 

 訪問日:2017年9月26日

大日寺の駐車場に車を停め阿波一宮神社に参拝しました。目の前の大日寺にはお遍路さんが一人二人、一之宮神社を訪れる参拝客はあまり多くありません。

安房国一の宮の石柱
一宮神社の由緒書き
境内に注連柱
境内の太鼓橋
境内に狛犬
境内に狛犬
御手水場
境内の社務所
拝殿に石灯篭
参道に神馬の銅像
参道に神馬の銅像
拝殿に神額
拝殿の奥に本殿
玉垣の中に本殿
一宮神社本殿の案内板
拝殿の脇に並ぶ摂社
通りの先は大日寺
一宮城への案内板

 

 

関連記録・コース

 大宜都比売神・大気都比売神(おおげつひめのかみ)・大食津姫命(おおみけつひめのみこと)

食物をつかさどる女神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子。素戔嗚尊(すさのおのみこと)が食物を求めたとき、鼻、口、尻から食物を取り出して奉ったため、怒った尊に殺されました。その死体から蚕および五穀が生じたと言います。

 

 流造(ながれづくり)

神社建築様式の一つ。屋根の前のほうが長く伸びて向拝をおおい、庇と母屋が同じ流れで葺いてあるのでこの名がある。

正面の柱が2本であれば一間社流造、柱が4本であれば三間社流造という。奈良時代末~平安時代に成立し広く各地に流布しました。

 

 豊臣秀吉(とよとみひでよし)

1536~1598年、安土桃山時代の武将。織田信長に仕え戦功をたて羽柴秀吉と名のった。信長の死後、明智光秀柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一した。

天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり豊臣を賜姓。検地・刀狩りなどを行い兵農分離を促進した。明国征服を志して朝鮮に出兵したが戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。

 

 伊弉諾尊・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。

黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。

 

 素戔嗚尊・須佐之男命(すさのうのみこと)

日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。

高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。

 

 天照大神、天照大御神(あまてらすおおかみ)大日女尊(おおひるめのみこと)・大日霊貴神(おおひるめのむちのかみ)

日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。

 

 織田信長(おだのぶなが)

1534~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。織田信秀の子。桶狭間に今川義元を討って尾張一国を統一。京都に上って比叡山を焼き、浅井氏・朝倉氏を破り、将軍足利義昭(あしかがよしあき)を追放、武田勝頼を三河の長篠に破った。中国出陣の途中、京都本能寺で明智光秀の謀反にあった。

 

 豊臣秀吉(とよとみひでよし)

1536~1598年、安土桃山時代の武将。織田信長に仕え戦功をたて羽柴秀吉と名のった。信長の死後、明智光秀柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一した。

天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり豊臣を賜姓。検地・刀狩りなどを行い兵農分離を促進した。明国征服を志して朝鮮に出兵したが戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。

 

 明智光秀(あけちみつひで)

1528~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。美濃の生まれ。織田信長に重用されたが、1582年6月2日、京都本能寺に信長を襲い自害させた。山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れ逃走中土民に殺された。

 

 柴田勝家(しばたかついえ)

1522~1583年、安土桃山時代の武将。織田信長の臣。越前北ノ庄に拠って北陸を支配。本能寺の変後、豊臣秀吉と対立、賤ヶ岳の戦いに敗れ北ノ庄で自害した。

 

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