つくば高原キャンプ場9:30~土俵場入り口9:45~キャンプ場コースの手前10:15~護摩壇10:50~護摩壇入り口11:25~北斗岩11:40/12:05~つつじヶ丘上12:45/13:15~つつじヶ丘13:25~495m付近13:50/55~つくば高原キャンプ場14:50
山の会の仲間との山行は筑波山です。親子連れなどで賑わう筑波山には訪れる人も少ないⅤルートがあります。その中の一つ護摩壇コース、春のニリンソウやカタクリの時期は歩く人も多いようですがこの時期は訪れる人は少ないようです。
数年前、筑波山のVルートは立ち入りが禁止されていました。不明瞭なコースに立ち入ったことでの登山事故が多発したこともあるのでしょうが筑波神社の意向であったようです。筑波山は今でも筑波修験が行われているところです。禅定道と呼ばれるルートはVルートと重なるところもあり、神域にハイカーを入れたくないということだったのでしょう。
しかし最近ではVルート入り口などの道標はないものの、トラロープや掲示板など立ち入りの禁止は行われていないようです。ネット上にも護摩壇コースや男の川コース、女の川コースの山行記事を見付けることができます。
落ち葉の林道を進むと土俵場への入り口、道標はもちろん赤テープなどもありません。雑木林の中を登って行く薄いふみ跡は落ち葉に覆われややもすると道を失いそうです。かつてあった土俵場の案内板も撤去されていました。
さらにキャンプ場コースへ続く道をしばらく登ると分岐、ここから笹の踏み跡を左に折れ荒れた雑木林の道を登って行きます。
たどり着いた沢は春にニリンソウが群生するところです。珍しいミドリニリンソウが見付けられるところです。
沢を越え僅かに登ると大きな岩が現れます。岩の下には人が入れそうな岩穴、大きな岩を支えているかのように小枝が立てかけられていました。
大きな岩の間を縫うようにふみ跡が続いていますがあまり危険なところはありません。やがて紅葉が目立つようになると護摩壇です。しめ縄が張られた大きな岩の下に祭壇、お札と供物が供えられていました。お札は修験者が道中の札所に奉納するもので、峯中碑伝(ぶちゅうひで)と呼ばれているようです。
ここからは石段の坂道を登って行きます。しばらく登るとつつじヶ丘から登てくるハイキングコースにたどり着きました。
途中で出会った地元のおばさんの話では女体山までのハイキングコースはたくさんの人で大渋滞、新型コロナの緊急事態解除が明けてはじめての祝日と言うことで子供連れのハイカーも多いようです。
我々も北斗岩の先まで登ってみましたが人の流れは途切そうもありません。女体山はあきらめつつじヶ丘に下ることにしました。
北斗岩からは進み始めた紅葉を眺めながらつつじヶ丘へ下って行きます。狭い岩場は人の流れが続きなかなか下ることができません。小さな子供の手をひいたり背負ったりした家族連れが目立ちます。久しぶりに楽しむアウトドアなのでしょうがなかなか大変そうでした。
弁慶の七戻り岩を過ぎるとかつて弁慶茶屋があった広場です。杉林の中を登って来る白雲橋コースもあるようですがこちらを登って来る人は多くないようです。
岩がちの山道を下って行くコースはおたつ石コース、山頂付近のガマ石は江戸時代には雄竜石(おたついし)と呼ばれていたようでその尾が霞ヶ浦まで達するとされていたとか、これがおたつ石コースの由来のようです。
しばらく下って行くとつつじヶ丘を見下ろす展望のベンチです。目の前はたくさんの車であるれる駐車場です。この時間でもまだ駐車を待つたくさんの車の長い列が続いていました。
たどり着いたつつじヶ丘の駐車場からは東筑波ハイキングコースを回りキャンプ場に戻ることにします。国民宿舎つくばねへと下って行く道から山道に入ると暗いヒノキ林の中をたどる道です。
アップダウンはそれほど多くないものの小さな沢からの登り返しが疲れた足には少し辛そうなところです。ここは女体山から裏筑波を周回してつつじヶ丘へと戻る人が多いところのようです。トレランの若者、若い単独行の女性もいました。
途中、空にはヘリコプターの爆音が鳴り響いています。ここからは見えないもののおたつ石のハイキングコースまでは800mほど、事故でもあったのかしばらくするはヘリコプターは爆音を残しながら飛び去って行きました。
たどり着いた車止めのゲートからは落ち葉の林道をキャンプ場へ戻りました。
筑波のⅤルートには今回歩いた護摩壇コースのほか、男の川コースや女の川コースがあるようです。春にはニリンソウやカタクリの咲くところ、沢沿いのルートですが道も良く踏まれているようです。機会があれば歩いてみたいものです。