筑波山は「西の富士、東の筑波」と言われ万葉の昔から親しまれた山です。1,000mに満たない山ながら、鹿児島県の開聞岳とともに深田久弥氏の日本百名山の一つに数えられています。関東平野の北の外れに立つ独立峰だけあって山頂からの展望は素晴らしく、また植物の宝庫としても知られ、自生植物は800種あまり。ツクバの名を冠した植物も少なくないと言います。
高萩行きの普通電車で土浦の駅へ。以前は筑波まで関東鉄道が運行していましたが、現在はバス路線になったようです。土浦駅から凡そ1時間。筑波駅のバス停は昔の鉄道のホームを改修した寂れた雰囲気の広場です。めざす登山口のある筑波山神社は、ここからバスに乗り換えるようですが、約30分以上の待ち時間があります。仕方なく筑波山神社まで車道沿いに歩くことにしました。
たどり着いた筑波山神社の前にはたくさんの土産物屋が軒を並べていました。ここ筑波は「前足が四本、後ろ足が六本」の四六のガマで有名なガマ油軟膏の発祥の地。たくさんのガマの置物が置いてあります。急な階段を登ると筑波山神社の本殿。社殿の正面には関東随一という大きな鈴が掛かっていました。本殿に参拝した後、暗い杉林の中の登山道を登り始めます。ケーブルカーに沿って登っていく坂道はかなり急な登りです。
中ノ茶屋からしばらく登ると、登山道は左手の沢に下って行きます。この沢は「筑波峰の峰よりおつる男女川、恋ぞつもりて淵となりぬる」と百人一首にも歌われている男女川(みなのがわ)の源流となる沢です。
更に潅木林の中を登っていくと、やがて御幸ヶ原の喧噪が近付いてきます。たどり着いた広場はケーブルカーの山頂駅と土産物屋の建ち並ぶところ。たくさんの親子連れが思い思いにお弁当を広げていました。我々はひとまず男体山の山頂へと向かうことにします。石段が続く急坂をひと登りした山頂には男体祠が祭られていました。春霞のせいか、山頂からの展望は淡い霞みの中に溶け込んでいました。
男体山からの展望を楽しんだあと、御幸ヶ原に戻り昼食としました。
ここから女体山へはパラボラアンテナの建ち並ぶ広い尾根道を登って行きます。途中、大きな口をあけたガマ石。その口に小石を投げ入れると願い事が叶うと言われています。たどり着いた女体山の大きな岩場の上には女体祠が祭ってありました。
女体山で展望を楽しんだのち、女体祠の裏手から筑波山神社へ下ることにします。山頂直下の下り坂はなかなか急な下りです。北斜面のためか、日陰にはわずかに残雪も残っていました。そろそろ2時近くになるにもかかわらず、まだまだたくさんの家族連れが、急な登りに喘ぎながら山頂を目指しています。急な岩場を少し下った広場が屏風岩。振り返ると女体山山頂の岩場がそびえ立つように迫っていました。
北斗岩、母の胎内潜りなどの巨岩、奇岩に目を奪われながら登山道を下ると弁慶七戻石。大きな岩が今にも崩れ落ちそうに積み重なっています。ここから左に下るとロープウェイのつつじヶ丘駅、右に下ると筑波山神社に下る道です。我々は右手の道を筑波山神社へと下ることにします。道はやがて静かな潅木林の中を下っていく心地よい下りとなります。そろそろ花の時期を終わるツバキが赤い花を付けていました。やがて車の喧噪が近づくと、今朝登り始めた筑波山神社の社殿は目の前です。