小田休憩所9:45~110m付近10:10/15~展望台10:30/35~宝篋山城址11:10~宝篋山11:20/12:40~常願寺コース分岐12:55~尖浅間13:20/30~くずしろの滝下13:50/55~小田休憩所14:35
山の会の12月の山行は宝篋山です。宝篋山は筑波山から続く低い尾根から派生する小さな頂です。山頂には鎌倉時代の古い宝篋印塔があることからその名が付けられた山です。
集合場所の小田休憩所、20台ほどの駐車場が2か所ありましたが、週末ということもあってすでにたくさんの車で一杯でした。
駐車場脇から明るい畑の中の小道を歩き始めます。真っ青に晴れ渡った冬空の下に宝篋山の頂、その山頂にはテレビの中継アンテナがそびえています。
しばらく進むと極楽寺公園です。ここには鎌倉時代の律宗の僧侶、忍性が東国の布教活動を行った地、その生誕800年を記念して忍性菩薩の銅像が建立されているところです。
忍性は奈良西大寺の僧で、社会福祉奉仕事業を続け後醍醐天皇より忍性菩薩号を賜りました。真言律宗の布教のため宝篋山の極楽寺に来所し活動をしました。そののち鎌倉に光泉寺、極楽寺を開き、道路や橋梁を設けたり、各地に悲田院や施薬院を建てたりして社会福祉事業に貢献したと言います。
登山道は暗い沢に沿って緩やかに登って行きます。小さな沢には滝がかかり案内板には慈悲の滝、五条の滝などの名前が付いていました。滝の瀬音を聞きながら沢を登って行くと宝筐山太郎こぶしと名付けられたこぶしの大木です。
沢を離れるとニコニコ岩とワニ岩と書かれた案内板があります。ニコニコ岩は蟹と言うことでしょうが確かにそのようにも見えます。
ここは視界が開けるところです。空気が澄んでいれば都心や富士山を眺めることができるようですが白く濁った空の下からの展望は今一つでした。
常願寺コースへと続く純平歩道を右に分けると雑木林の登山道は山頂を目指して高度を上げていきます。急な登りに息を切らせると空堀の案内板が現れます。その先を右に折れるとベンチが置かれた宝篋山城跡にたどり着きました。
南北朝時代、北朝の高師冬が南朝方の小田城を攻めるために陣取った所という記録があるようですが宝篋山城としての記録は残っていないようです。
バイオトイレからひと登りすると宝篋山の山頂です。浅間神社の鳥居の先に宝篋山の名前の由来となった宝篋印塔が建っています。また近くには真新しい護摩壇や石碑などがありました。
山頂はたくさんのハイカーで賑わっています。目の前は筑波山の双耳峰、その先には白い雪を被った日光の山々、男体山から日光白根山、皇海山などと続く頂の先を追いかけると青空に溶け込むように赤城山の青いシルエットも見付けることができました。
山頂の先のベンチで山鍋です。今日のメンバーは13人、山鍋はきのこ鍋ときりたんぽ鍋の2つです。
きのこ鍋
しいたけ1パック、えりんぎ2本、ぶなしめじ1パック、えのき1パック、なめこ2袋、白菜3枚、鶏肉もも肉150g、ミツバ1束、人参・少々
本だし(あごだし)、酒、みりん、めんつゆ、ゆず、七味唐辛子
きりたんぽ鍋
鶏もも肉200g、せり、ごぼう1/2本笹がき、まいたけ1パック、しいたけ1パック、油揚げ2枚、長ネギ1本、きりたんぽ2袋
比内鶏スープ、めんつゆ、ゆず、七味唐辛子
〆のうどん
きのこ鍋用、きりたんぽ鍋用とカレーうどんの3種類
玉うどん6個、卵6個、、鍋キューブ、カレールー、長ネギのみじん切り
寒い山の上では暖かい山鍋は身も心も温まるものです。近くのベンチでもコッヘルを取り出しラーメンなど食べているパーティもいました。
下山は常願寺コースです。宝篋山城の先から登山道は左手に広い稜線を下って行きます。
しばらく下るとナラとサクラの合体林です。春には山桜やこぶしの花が見られるところのようです。
小さく登り返したピークは尖浅間です。大きな岩に道標が建っていました。ここから長長坂と名付けられた急坂を下って行きます。ジグザグを切りながらヒノキ林の中を下って行く道は確かにその名前が似合うところのようです。
小さな滝などを過ぎさらに下って行くと登山道は畑の中の小道を歩いていくことになります。振り返るとアンテナを頭に乗せた宝筐山が青空の下にそびえていました。
人気の筑波山が近くにあるにもかかわらず宝篋山はたくさんのハイカーで賑わうところです。少し歩き足りないようですが沢沿いには小さな滝などもあり冬場の軽いハイキングには良さそうなコースでした。