飯能中央公園10:05~天覧山10:40/45~多峯主山11:20/55~飯能アルプス永田入口12:45~260m付近13:05/20~永田山13:40~久須美峠14:00~送電鉄塔下15:10/25~東峠15:40~東吾野駅16:10
10月も中旬を過ぎるとそろそろ秋も本番、愚図付いていた秋雨前線も消え晴れと雨が交互にやってくる秋の天気が始まるようです。
奥武蔵の天覧山から伊豆ヶ岳へと続く稜線は飯能アルプスとも呼ばれ、全山を縦走すると20kmを越えるロングコースです。伊豆ヶ岳から竹寺、天覧山や多峯主山は奥武蔵入門のハイキングコースとしてガイドブックでもお馴染みですが多峯主山から天覚山、伊豆ヶ岳へ続く道は歩く人も少ないアップダウンの多い尾根道です。
飯能中央公園の大きな駐車場に車を停め天覧山を目指しことにします。天覧山の麓には能仁寺があります。
ここは飯能戦争の舞台となったところです。慶応4年(1868年)上野に籠った彰義隊の頭取だった渋沢成一郎(渋沢栄一の従兄)は、副頭取の天野八郎と対立して上野を去り田無で新たに振武軍を結成します。彰義隊が上野の山で敗れたのち能仁寺周辺に陣をしいていた振武軍に対し、久留米藩や筑前藩、川越藩などから成る新政府軍が方々から進軍し飯能戦争と呼ばれる戦いが繰り広げられました。圧倒的な兵力と火器を有する新政府軍の前に振武軍は僅か一日で敗走したとされています。
能仁寺の脇の道を登って行くと天覧山です。ここは市民の散策路となっているようです。近くの幼稚園児でしょうか中段の広場はお揃いの園服で遊びまわる子供たちの笑い声で溢れていました。
天覧山はかつて愛宕山や羅漢山と呼ばれていたところです。明治16年(1833年)山麓で行なわれた近衛兵春季小演習を明治天皇がこの山頂から統監したことにより、天覧山と呼ばれるようになりました。
天覧山の山頂直下には十六羅漢が祀られています。現地の案内板によると徳川五代将軍綱吉が病に倒れたとき、生母桂昌院はこれを心配し飯能出身の大名、黒田直邦の勧めで能仁寺の泰基和尚による病気平癒の祈祷が行われたと言います。
桂昌院はこの報恩感謝のしるしとして十六羅漢像を寄進、その後この山は羅漢山と呼ばれるようになったと紹介されていました。岩っぽい斜面に祀られた羅漢像を眺めながら急坂を登って行くと天覧山の山頂にたどり着きました。振り返ると大岳山、それから続く稜線の上には白い雪を被った富士山がそびえていました。
天覧山はたくさんの人で賑わう公園と言ったところで道標はしっかりとしているものの飯能峠に続く道や飯能河原に戻る道などが入り組んでいるところです。
多峯主山へは小さく下ったのち松林の中の緩やかな道を登って行くことになります。しばらく登ると石段を登る道への分岐です。石段の先には鎖場もありますが鎖は子供専用とか、急になった石段をひと登りすると広く開けた多峯主山の山頂にたどり着きました。
たくさんのハイカーで賑わう山頂には三角点と経塚が祀られていました。山頂からは奥武蔵の稜線を一望することが出来ます。
青空の下には大きな武甲山、それから続く稜線には子持山、大持山、有間山などの頂を見付けることが出来ます。奥武蔵グリーンラインの上に見えるコブは関八州見晴台で、堂平山など比企の山々は稜線の先に隠れているようでした。
多峯主山からは天覚山方面への道へ、木柵が整備された道を下っていると鞍部にトイレがありました。ここからは御嶽八幡神社や配水池へと下る道があります。山頂にいたハイカーの多くはここから飯能方面に戻って行ったようです。
登山道は久須美坂と記された道標から山道を下って行くようになります。ふみ跡も薄い山道の右手は武蔵横手台の住宅地造成工事が行われているようで迂回道の案内板が立て掛けられています。右手のトラロープの先にはソーラーステーションの太陽光パネルが広がっていました。
やがて登山道は舗装道路を横切ることになります。ここは道を右に、しばらく登ると飯能アルプス永田口と書かれた車止めです。ここからは再び山道を登って行くようになります。
雑木林の中を緩やかに登って行く道は住宅地の脇を通って行きます。建ち並ぶ屋根の上には日和田山や物見山の頂が見えていました。
ひと登りすると4等三角点のある277.5mのピーク、ケルンの上には永田山と書かれた私製の山頂標識がありました。
暗い杉林の中の道は小さなアップ段を繰り返しながら久須美坂へと向かっていきます。小さな祠が祀られたピークは久須美山、木の根元には久須美山の私製山頂標識が立て掛けられていました。
通過点のような久須美坂峠にも私製の道標が建っています。左手の道は久須美へと下って行く道です。その先には武蔵横手へ下る道が分かれていました。
ここからもアップダウンの多い道が続きます。地形図上では判りにくいものの2~30mほどの小さなコブを越える急坂が続く道です。
天覚山方面から下って来た初老のハイカーは吾野駅から登って来たとか、天覚山までアックダウンも多くまだ1時間以上かかりそうと言っていました。ネット上の山行記でも思いのほか急なアップダウンが続く紹介されていましたが夕暮れが早い時期にこのコースの縦走は厳しいようです。
送電鉄塔の下を過ぎると登山道は東峠に下って行きます。ここからは舗装道路をたどり東吾野に下ることにしました。
舗装道路をしばらく下ると地元の人が草刈りでもしているようで数台の車が停まっていました。上水道施設の脇からは再び山道が始まります。天覚山を守る会と書かれた朽ちかけた道標が道端に建っていました。
やがて国道を走る車の騒音が近づいてくると東吾野の集落です。木材集積所脇の踏切を渡ると東吾野駅は目の前でした。