甲州街道・矢川から高尾 


 歩行時間:行動時間 6:15、歩行時間 5:49
 歩行距離:20.2km
 累積標高差:+166m、-67m
 往路:南武線・矢川駅、復路:中央線・高尾駅
 訪問日:2025年4月9日

 

 コースタイム


矢川駅9:32~南養寺~矢川稲荷大明神~日野の渡し碑10:31~日野橋~日野の渡し跡~日野宿と甲州街道案内板~川崎街道入口~日野宿本陣11:05~日野八坂神社~日野駅~寳泉寺~飯縄権現堂、坂下地蔵堂~日野大阪上~日野自動車本社~高倉稲荷神社~八高線跨線橋~日本橋から43km道標~日枝神社~国道16号線高架橋~浅川大和田橋~永福稲荷神社、八光山権五郎像~八王子駅入口13:54~伏見稲荷社~そば処中清14:05/20~善龍寺~善能寺~千人同心屋敷跡記念碑14:38~追分の道標~了法寺~長安寺~多摩御陵入口~町田街道入口15:38~熊野神社~高尾駅15:47

 

 矢川駅~日野渡船場跡~日野宿本陣~坂下地蔵~浅川大和田橋


甲州街道の続きは矢川駅からです。矢川駅の駅前にはハナミズキの並木道が続いています。今年も桜の時期を過ぎ、ハナミズキやオオムラサキが咲く季節を迎えようとしています。

最初に訪れたのは臨済宗の南養寺です。南北朝時代に創建された古い歴史のお寺で本堂は谷保天満宮とともに国立で最も古い建物の一つと言います。国立と言う名は国分寺と立川の間にあることから名付けられた安直な名前とか、多摩モノレールが多摩川を渡る橋も立日橋とか、この橋も立川と日野の間にある橋として名が付けられたのでしょう。

矢川駅
矢川駅の駅前
南養寺の山門
南養寺の山門と石柱

矢川稲荷大明神を越えると日野の渡し跡です。下水道のポンプ場近くに日野の渡し跡の碑がありました。多摩川を渡る立日橋は多摩モノレールの高架が通るところです。多摩モノレールは多摩センターから立川、上北台まで、交通の便があまり良くない東京の西側で、南武線などとともに南北を結ぶ交通機関の一つです。

国立市のマンホール
国立市のマンホール
日野橋交差点
車が多い日野橋交差点
日野の渡し跡
多摩川の河川敷に日野の渡し跡
立日橋の多摩モノレール
立日橋を渡る多摩モノレール

日野は甲州街道の宿場町です。幕末の歴史に足跡を残した新選組、土方歳三の故郷です。戊辰戦争で命を落とした土方歳三の命日に合わせて開催される「ひの新選組祭り」では、甲州街道などで隊士パレードなどが行われると言います。

日野渡船場跡
日野渡船場跡の案内板
日野市の汚水マンホール
日野市の汚水マンホール
日野宿の案内板
日野宿の歴史を伝える案内板
川崎街道の入口

日野は日野宿の本陣など古い宿場町の歴史が残るところです。日野八坂神社には天然理心流の奉納額が収められ、新選組の近藤勇や沖田総司、八王子千人同心の井上松五郎に名があると言います。

日野宿本陣の門
宿場町の歴史が残る日野宿本陣
八坂神社の本殿
彫刻が施された八坂神社の本殿
八坂神社の天然理心流の奉納額
天然理心流の奉納額
旧街道上宿の古いカフェ

日野駅を越えると臨済宗の寳泉寺です。ここから坂道を登って行くと飯縄権現社坂下地蔵があります。かつて中央線を渡る踏切があったのでしょうが閉鎖されていました。

日野駅
JR日野駅の入り口
寳泉寺の山門
寳泉寺の石柱と山門
坂下地蔵堂のお地蔵さん
坂下地蔵
日野大阪上交差点
日野大阪上交差点

日野の駅前を通る県道256号線を登って行くと旧甲州街道が合流する日野大阪上交差点です。ここからは多摩川と浅川が作り出した日野台地と呼ばれる広く開けた台地です。甲州街道に沿って日野自動車の本社工場やコニカミノルタの工場などがありました。

高倉稲荷神社を越えると石川入口の交差点です。右手には中央道の石川PAがあるようです。

日野自動車本社工場
日野自動車本社の大きな工場
高倉稲荷神社の拝殿
広い境内に高倉稲荷神社の拝殿
八高線を越え
日本橋から43kmの道標

緩やかに道を下ると日枝神社の鳥居です。急な男坂の階段の上には玉垣を巡らせた拝殿がありました。甲州街道を歩く人の多くが参詣したところなのでしょうが石段を登るのも大変だったでしょう。

日枝神社の石鳥居
日枝神社の鳥居と急な石段
国道16号線の高架橋をくぐり
浅川大和田橋
浅川大和田橋に焼夷弾の跡
遊歩道が続く浅川の河川敷

国道16号線の高架を超えしばらく歩くと浅川に架かる大和田橋です。橋の欄干には終戦間近の昭和20年8月、B29による空襲で落とされた焼夷弾の弾痕の説明板がありました。戦争が終わってせでに80年、まだまだその歴史は道端にも残されているようです。

浅川の源流は陣馬高原とか、広い浅川の河川敷には遊歩道が続き霞んだ空の下には奥多摩の山並みが見え隠れしていました。

 

 浅川大和田橋~八王子駅入口~千人同心屋敷跡~追分の道標~熊野神社~高尾駅


大和田橋を渡ると道は右手北大通りへ。しばらく歩くと大きな一里塚の石碑があります。近くには江戸時代に活躍した八王子出身の力士、八光山権五郎の石像がありました。往時は相撲協会などの組織はなく、全国の力自慢が江戸や京都に集まり東西に分かれ地元を背負って勧進相撲を取っていたと言います。

子供公園の傍には永福稲荷神社があります。古い社は劣化が進んでいるようで本堂の周辺には赤い柵が張られていました。

永福稲荷神社の一里塚跡
永福稲荷神社の境内に一里塚
八光山権五郎の石像
境内に八光山権五郎の像
永福稲荷神社の拝殿
赤い柵の中に拝殿
八王子駅の入口

ここからは八王子駅周辺の街歩きです。子安神社福傳寺八幡八雲神社など大山の街道歩きで訪れた神社などが点在するところです。またこの周辺には高いビルの中に老舗のお店屋さんなどが点在しています。大型スーパーなどが出店することで地元の商店街が衰退するなどの問題があるようですが、ここ八王子では老舗ののれんが続いているようです。しかし駅前を過ぎると飲食店や食堂などの店はかなり少なくなっているようでした。

ビルの中に商店が店を出し
かつお節の老舗もあります
お昼に立ち寄ったお蕎麦屋さん
善龍寺の枝垂桜
しだれ桜が咲く善龍寺

松姫通りを北に、立ち寄ったお蕎麦屋さんで遅い夕食です。八王子にも八王子七福神があるようで街角には案内板が建っています。またこの近くには伏見稲荷社善龍寺善能寺などのお寺も多くあるところのようでした。

陣馬街道が甲州街道と別れるところは追分、近くには八王子同心屋敷跡の石碑があります。豊臣秀吉の小田原攻めで八王子城が落城したのち、徳川家康は武田氏の遺臣をもとに八王子城下の警護にあたらせました。

善龍寺の七福神めぐり案内板
八王子七福神めぐりの案内板
善能寺の山門
善能寺の山門と石柱
千人同心屋敷跡記念碑
追分町に千人同心屋敷跡
追分の古い道標
追分の古い道標

関ヶ原の戦いの前には代官大久保長安により千人に増員、文字通り八王子千人同心が誕生したと言います。

ここからは新緑のイチョウ並木が続く甲州街道歩きです。途中には了法寺長安寺がありました。了法寺はお寺には珍しいピンク色の痛車が山門わきにあります。

了法寺の山門
住宅地の中に了法寺の山門
了法寺の自家用車は痛車
お寺には珍しい痛車
長安寺の本堂
境内の奥に長安寺の本堂
多摩御陵入口の交差点

多摩御陵入口を越えると日本橋から50kmの道標があります。さらに町田街道入口を越えると東浅川熊野神社がありました。覆い堂の中に古い熊野神社、境内には多くの石祠があります。また熊野神社には氷川神社と熊野神社に伝わるという獅子舞の案内板がありました。

日本橋から50km道標
国道20号線は日本橋から50km
町田街道入口
熊野神社の覆い堂
熊野神社の覆い堂
高尾駅
たどり着いた高尾駅

たどり着いた高尾駅は高尾山や小仏山、陣馬山へのハイキングでお馴染みの駅です。近くの女子高の下校時間に当たったようでたくさんの学生が改札口へ急いでいました。

 

 コースGPSmap


 クリックするとGPSLogをダウンロードします。

 

 その他のコース・山行記録


TAG:甲州街道
 訪問者数 今月:32件
 Back