上野原駅9:44~鶴川宿10:38~鶴川神社~大椚一里塚11:25~吾妻神社・大椚観音堂~野田尻宿・犬嶋神社12:23~西光寺~荻野一里塚13:05~矢坪坂古戦場跡~武甕槌神社13:25~談合坂上り線SA展望台13:45~犬目宿14:07~寶勝寺・富岳三十六景犬目峠14:29/35~白馬不動尊~恋塚一里塚~山住神社~甲州街道馬頭観音~福地八幡神社~鳥沢駅13:35
甲州街道の街道歩きは上野原駅からです。鶴川宿、野田尻宿、犬目宿、鳥沢宿を歩くことになります。また鶴川の渡しは甲州街道で一つだけの徒歩の渡しがあったところと言います。
上野原の駅から甲州街道が通る台地上までは2kmほどの登り坂、最初からなかなかきつい坂道です。たどり着いた国道20号線は車の多いところ、三井家と書かれた看板を掲げた土蔵造りの商家などが古い歴史の面影が今も残っています。
国道20号線を離れ旧甲州街道をしばらく歩くと国道20号線を越える歩道橋へ、さらに坂道を下って行くと鶴川です。
この地方のアユの解禁は6月1日から、鶴川の川岸にはアユの釣り人が数人、渓流に足を踏み入れながら長い渓流竿を出していました。
鶴川宿の入り口から僅かに登ると鶴川宿です。ここもまた古い街道の面影が残るところです。下見張りの木の壁、二階に縁側がある民家、土蔵造りの商家など、都会の中には残っていない昭和初期の時代が所々に残されていました。
急な石の階段を登って行くと鶴川神社です。牛頭天王の神額を掲げる神社は素盞鳴尊を祀る神社、拝殿の脇には祭典総理と書かれた看板が掲げられています。また境内に置かれた駒つなぎ石はかつて鶴川宿にあったものと言います。
旧甲州街道は足湯が併設された介護施設から急な坂道を登って行きます。点在する民家を過ぎしばらく歩くと中央道を越える鳶ヶ﨑跨道橋です。その先には江戸から19番目の一里塚と言う大椚の一里塚跡がありました。
集落の中を進むと大椚宿発祥の地の石祠です。大椚宿は江戸幕府が正式に定めていない相の宿とか、旅人が休暇のため利用したところと言います。
街道沿いには吾妻神社の大杉、樹齢600年と言う大木です。石段の上には弟橘姫命を祀る吾妻神社、石段の傍には千手観音菩薩と大日如来を祀る大椚観音堂がありました。観音堂の前には古い石仏が祀られています。ここは不動院行満寺の廃跡に建つ観音堂と言います。
中央道をアンダーパスで越えると野田尻宿です。ここもまた古い町並みが残るところです。今は使われていないようですが赤いポストが置かれた簡易郵便局、その近くには犬嶋神社の赤い鳥居が建っていました。
境内の奥には狛犬と拝殿、その隣には村芝居が行われたという神楽殿があります。最近は村芝居が行われていないのか、建物の中には机などが置かれているようです。山間の集落ではどこも同じなのでしょうが、人口の減少により祭りなども後継者不足が問題になっているのでしょう。
野田尻宿の外れには西光寺があります。階段には赤い帽子と涎掛けのお地蔵さん、その上には本堂や観音堂、客殿があります。境内の摩尼車には般若心経が書かれていました。
中央道の跨道橋を渡ると甲州街道の石畳です。箱根の旧街道を想像していましたが泥が目立つだけの道で石畳など見当たりませんでした。
荻野の一里塚は江戸から20里の一里塚です。再び中央道を跨道橋で渡ると矢坪坂古戦場跡の案内板がありました。享禄3年(1530年)甲斐に攻め込んだ2万の北条氏の軍勢を小山田氏の軍勢が待ち伏せしたところとか、かつてのこの地は街道沿いに急峻な山と崖が入り組んでいたところと言います。
狭い坂道には武甕槌神社の石鳥居、緩やかに登って行く道は暗い林の中をたどるようになります。やがて視界が開けたところが座頭転がし、かつては急な坂であったようですが今その面影は見当たりませんでした。
舗装道路をしばらく歩くと左手は梅畑、枝先には青梅が実っています。青梅の収穫時期は梅雨頃と言いますのでそろそろ梅雨の季節も近づいているのでしょう。目の前は談合坂上り線SA、大きな駐車場が見えていました。
しばらく歩くと犬目宿です。郡内地方で最も標高が高いところに位置する宿場です。犬目宿の標石の傍には農産物の販売所があります。しかし野菜の販売者が少なくなったことから中止になっているとか、また付近を通るバスも土日に1本など生活の環境はかなり厳しいものがあるようです。
寶勝寺の石段を登ると境内に大きな犬目慈悲観音が建っています。ここは北斎の冨嶽三十六景甲州犬目峠や広重の不二三十六景甲斐犬目峠に描かれたところとか、しかし曇りがちな空の下には御正体山の稜線、晴れていればその先に富士山が見えるのでしょう。
犬目宿を過ぎると白馬不動尊です。赤い鳥居の先に不動堂があるとか、また案内板によるとこの道は扇山へ続く登山道となっているようです。疲れた足にはなかなか厳しいそうで途中で断念しました。
恋塚の一里塚は大きな築山のある一里塚で江戸から21里に位置すると言います。近くには山住神社の赤い鳥居がありました。厳島神社のような控え柱が付いた両部鳥居であまり見かけない鳥居です。石段を登って行くと小さな拝殿がありました。
しばらく歩くと山谷、街道の傍には甲州街道馬頭観音と呼ばれる古い石塔が祀られています。ここは大月カントリークラブの入り口にもなっているようで、ゴルフを終えた車が下ってくるところです。またここには富士急バスの折り返しのバス停がありました。
この付近からは舗装道路の急な下りになります。疲れた足には下りの坂道もきついものです。やがて扇山からの下りで歩いたことのある坂道、道端の大きな杉の木の下には古い石仏が祀られています。
やがて中央道の高架橋の下をくぐると国道20号線です。車の流れも多い国道沿いには少し時代を感じさせる民家もあります。疲れた足を引きずるようにしてたどり着いた鳥沢駅、ほどなく登りの普通列車が到着しました。
上野原駅からの歩程は17km、標高差500mを越える登りがきつかったのか思いのほか歩き応えがあった街道歩きでした。
日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。
高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。
古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。
黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。
日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。