秩父観音霊場26番の寺は万松山円融寺、臨済宗建長寺派の寺院です。現地の案内板によると円融寺の本尊は恵心僧都の作といわれている八寸七分の立像聖観世音で現在は円融寺本堂に安置されていますが、かつては岩井堂に安置されていた。岩井堂は寺より南へ1.5粁に元久2年(1205年・鎌倉時代)に建立した。周囲は急峻な地形で岩壁におおわれ、その中腹に三間四方の方形造りに、匂欄をめぐらし唐様の細部をなした美しい堂です。
正面谷間に向けての舞台造は、京都の清水寺の舞台を偲ばせます。眼下百米谷川よりの霊霧、眼前の武甲の融資を収めたこの堂に身をおく時、まえに補陀落の浄土をみるに似ます。
岩窟にはその昔、弘法大師37日の秘法を修めたと護摩壇、仏国禅師の座禅岩、秩父別当武基の玄孫、秩父太郎重弘、その子重能、重忠等の信仰も深かりし縁起もあります。
本寺の本堂には昭和33年7月市指定の文化財「勝軍地蔵立像」像高121糎、木造寄木造りで玉眼入り鎧の上に環甲の袈裟をつけた鎌倉時代の優秀作といわれる仏像が安置されています。この他、県指定文化財鳥山石燕の「景清の牢破」絵画額等もありますと書かれていました。
境内には清衡の牢やぶりの案内板があります。今秩父周辺は桜の花が満開を迎えていました。
円融寺の奥の院・岩井堂は呼ばれる懸造りのお堂です。ここを訪れたのは羊山公園から琴平丘陵を歩いた時でした。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。
源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として制定したと伝えられてる33ヶ所の観音霊場。神奈川・埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉にかけてある札所を巡拝すると1,300キロメートルになると言う。