秩父観音霊場28番の寺は石龍山橋立堂、曹洞宗の寺院です。現地の案内板によると橋立堂は高さ80mもある石灰岩の直立した岩壁下に建てられ、堂は3間4面、方形屋根で江戸中期になるものと言われます。本尊は馬頭観世音座像で、像高28糎の小さいものですが、三面六臂の姿はひきしまり、鎌倉時代の優秀な作として、昭和33年7月市の指定文化財になっています。
縁日には近在から来る馬を曳いた参詣者で雑踏を極めたと言います。その昔この地に残酷非道、仏神の信心なき領主、領地をみまわり、銅をもって鋳し地蔵菩薩像を里人崇敬し得るをみて、仏神の益何事あろうと、打ちこわしその財を己れに費やれば、領主たちまち病に死し、その子孫すべて跡形もなく消えたという。
まもなく大蛇出て里の憂いとなり、里人は一心に当山の祈ればいづくなく白馬現われ心よげに走り大蛇この馬を一口に呑まんとするに、白馬の額より光明をさせば、たちまち大蛇人語を発し「吾先に死し領主なりいままさに仏知にひかれた得脱を得たり、吾この姿を末代にとどめて衆生の信心をはげまさん」と池中より出れば金鱗変じて石と成り、白馬は本尊の御帳に走り入りたという縁起がありますと書かれていました。
橋立堂の境内はサクラとハナモモ、ミツバツツジの赤紫の花に包まれていました。3月の末から寒い日が続いていたこともあり桜の開花が遅れています。この影響なのか今年の秩父は一斉に春の花が開き始めているようでした。
橋立鍾乳洞で知られた観光地はまた武甲山の登山口の一つです。多くのハイカーが利用する生川の登山口から山頂に登り浦山口に縦走するコースも歩かれているようです。横瀬駅から浦山口へ縦走すると15km、7時間半ほどの歩程になります。かなりの健脚なのでしょうか若いハイカーが2組、山頂方向から下ってきていました。
禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。
鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。
源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として制定したと伝えられてる33ヶ所の観音霊場。神奈川・埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉にかけてある札所を巡拝すると1,300キロメートルになると言う。