秩父観音霊場23番の寺は松風山音楽寺、臨済宗南禅寺派の寺院です。Wikipediaによると天長年間、慈覚大師(円仁)が秩父を巡錫したとき、聖観音像を刻み観音堂に安置したと伝えられています。秩父観音霊場を開創したとされる十三権者が、この地で松風の音を聞き、あたかも菩薩の奏でる音楽のように聞こえたことから音楽寺と名付けられてと言います。
本堂は大きな唐破風向拝を持つ建物で文政11年(1828年)の建築です。室町時代の作と伝えられる千手観世音菩薩が安置されています。
本尊の聖観世音は一木造り桧材、像高81cmで室町時代の作と言います。また銅鐘は明治5年(1768年)銘、市指定の文化財です。
その名にちなんで本堂わきには演歌歌手などのヒット祈願が張られていました。
平安時代初期の僧。延暦寺第3世座主。天台宗山門派の祖。大同3年(808年)比叡山に登って最澄の弟子となる。838年遣唐使の船に乗って入唐する。死後、貞観8年 (866年)慈覚大師を追諡。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。
源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として制定したと伝えられてる33ヶ所の観音霊場。神奈川・埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉にかけてある札所を巡拝すると1,300キロメートルになると言う。