秩父観音霊場23番 音楽寺 


 寺社の種類:臨済宗南禅寺派の寺
 山号:松風山
 創建の時期:天長年間(824年~ 834年)、円仁
 所在地:埼玉県秩父市寺尾3773
 訪問日:2024年4月10日

 

秩父観音霊場23番の寺は松風山音楽寺、臨済宗南禅寺派の寺院です。Wikipediaによると天長年間、慈覚大師(円仁)が秩父を巡錫したとき、聖観音像を刻み観音堂に安置したと伝えられています。秩父観音霊場を開創したとされる十三権者が、この地で松風の音を聞き、あたかも菩薩の奏でる音楽のように聞こえたことから音楽寺と名付けられてと言います。

本堂は大きな唐破風向拝を持つ建物で文政11年(1828年)の建築です。室町時代の作と伝えられる千手観世音菩薩が安置されています。

秩父の山里は満開の桜
音楽寺の納経所
参道は枝垂桜と奉納幟
音楽寺の案内板
赤い鳥居の先に稲荷大明神
境内の六地蔵
境内に御手水場
大きな本堂
境内の鐘楼
千社札が張られた本堂
本堂の扁額
歌手のヒット祈願
市指定史跡の案内板
十三権者の石像
十三権者の石像
音楽寺の先に秩父の町並みと武甲山
桜とミツバツツジが満開
公園は今が満開の桜

本尊の聖観世音は一木造り桧材、像高81cmで室町時代の作と言います。また銅鐘は明治5年(1768年)銘、市指定の文化財です。

その名にちなんで本堂わきには演歌歌手などのヒット祈願が張られていました。

 

関連記録・コース

 臨済宗南禅寺派(りんざいしゅうなんぜんじは)

日本仏教の一宗派。臨済宗一四派の一つです。1291年、無関普門により始まる。本山は京都の南禅寺

 

 円仁(えんにん)慈覚大師(じかくだいし)

平安時代初期の僧。延暦寺第3世座主。天台宗山門派の祖。大同3年(808年)比叡山に登って最澄の弟子となる。838年遣唐使の船に乗って入唐する。死後、貞観8年 (866年)慈覚大師を追諡。

 

 聖観音菩薩・正観音菩薩(せいかんのん)

六道を教化する六観音の一つ、地獄道を化益するという。1面2臂が特徴とされる。

 

 秩父三十三観音霊場・秩父三十三ケ所

秩父地方にある三十三ヶ所の観音の霊場。実際は三十四ヶ所あり西国三十三観音霊場坂東三十三観音霊場と合わせて日本百観音霊場とした。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

 六観音(ろくかんのん)

六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

 

 西国三十三観音霊場・西国三十三ヶ所

近畿地方を中心に散在する33ケ所の観音霊場。花山法皇の巡礼を創始とすると伝えられる。室町時代から民間人の参拝が増え、江戸時代に盛んとなった。

 

 坂東三十三観音霊場・坂東三十三ヶ所

源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として制定したと伝えられてる33ヶ所の観音霊場。神奈川・埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉にかけてある札所を巡拝すると1,300キロメートルになると言う。

 

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