秩父観音霊場16番の寺は西光寺です。本堂の観音堂は宝永7年(1710年)の建立と伝えられています。西光寺の扁額の脇には「猿ぼぼ」が吊り下げられていました。
本堂脇には四国八十八カ所をめぐる廻廊があります。江戸時代中期の浅間山噴火の時、秩父でも降灰などにより農産物等に大被害がありました。僧・法淳が死者の供養と天下泰平を祈願して回廊堂を建立して四国八十八カ所の尊像を奉安しました。これを巡ると四国八十八カ所を巡ったと同じ功徳があると言います。
御堂の脇には札堂があります。かつての巡礼では木札の納札を打ち付けたと言います。秩父札所で札堂が現存しているのは西光寺だけと言います。また境内の左には酒樽の中に大黒天を祀る「酒樽大黒」があります。茅葺の屋根を被った大きな樽は珍しいものでした。
真言宗の新義真言の一派。総本山は奈良桜井市の長谷寺。真言宗智山派と同じく覚鑁(かくばん)を開祖とする。織田信長のため根来寺を追われた専誉(せんよ)が一派を形成した。
六観音の一つ。限りない慈悲を表す菩薩で、千の慈悲の眼と千の慈悲の手をそなえ、生ある者を救うという。二七面四二臂の像が一般的。千手千眼観世音。千眼千臂観世音。
真言宗の新義真言の一派。宗祖覚鑁(かくばん)は真言宗の教義に念仏を加味し、高野山の大伝法院にあって布教に努めた。その教勢が高野本山をしのいだため紛争を生じ1140年円明寺を開いて分立した。
平安後期の真言宗の僧(1095~1144年)高野山に大伝法院、密厳院などを建立し、金剛峰寺とともに座主を兼ねたが一山の反対にあい根来に移った。新義真言宗の開祖、伝法院流の祖。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。
源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として制定したと伝えられてる33ヶ所の観音霊場。神奈川・埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉にかけてある札所を巡拝すると1,300キロメートルになると言う。