秩父観音霊場25番の寺は岩谷山久昌寺、曹洞宗の寺院です。現地の案内板によると久昌寺は通称御手判寺といいます。播州書写山の性空上人が秩父巡拝の折、閻魔大王から贈られた石の手判を当寺に収めたと言います。堂は三間四面、表流れの向拝をふした方形造りで堂内には宮殿形の厨子がおいてあります。本尊は聖観世音立像一本造り像、室町時代の作と紹介されていました。
観音堂には奥野の鬼女の三千女の奉納額があります。昔欲深な女が山にこもりて悪業をかさねた、村人は思いあまって女を荒川に投げ入れたが一命をとりとめ、其の後鬼女は女の子を出産したが親に似ず美しい心の持ち主で此の地に観音堂を建て母の菩提を弔ったとされていました。
本堂と納経所は弁天池のほとりにあります。緑の水をたたえる沼は春の桜、秋のモミジを湖面に映しガイドブックなどにも紹介されています。
帰りには近くのお蕎麦屋さん、弁天茶屋でお昼御飯です。お蕎麦の定食は細めの盛りそば、お昼時でしたが店はかなり混んでいました。秩父のお蕎麦屋さんは美味しいところが多いようでした。
禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。
鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。
源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として制定したと伝えられてる33ヶ所の観音霊場。神奈川・埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉にかけてある札所を巡拝すると1,300キロメートルになると言う。