水潜寺 


 寺社の種類:曹洞宗の寺
 山号:日沢山
 創建の時期:-
 所在地:埼玉県秩父郡皆野町下日野沢3522
 訪問日:2023年4月28日

 

秩父観音霊場34番の寺は日沢山水潜寺、日本百観音霊場(西国、坂東、秩父)の結願寺です。参道入口には秩父三十四番札所と日本百観音結願所の石標が立っています。

本堂は大きな唐破風向拝を持つ建物で文政11年(1828年)の建築です。室町時代の作と伝えられる千手観世音菩薩が安置されています。

水潜寺の参道
破風山に向かうふれあいの道
日本百観音結願時の石柱
参道にたくさんの石仏
六地蔵
水潜寺の本堂
水潜寺の本堂
本堂にご詠歌
本堂の内部
水潜寺の納経所
納経所
水潜寺の百観音結願堂
百観音結願堂
百観音功徳車
水潜寺の境内
水潜寺の参道に三十三観音像
参道の三十三観音像

本堂にはたくさんの彫刻や天井画、子育て観音像の傍には打ち止めの笈摺や金剛杖、輪袈裟などが納められていました。

 

 《秩父札所第三十四番 日沢山 水潜寺》皆野町教育委員会の案内板

この札所は、秩父三十四霊場、日本百観音霊場(西国・坂東・秩父)の結願寺として、巡礼者が打留めの札と笈摺を納めた寺です。

観音堂は、大きな流れ向拝をつけた六間四面方形造りで、文政十一年(一八二八年)の建築であります。内陣は壁で囲まれ、外陣は桟唐戸をたて周囲に縁を廻し、内陣外陣の境には格子戸を以て仕切り、その上部に飛天像その他の極彩色彫刻を入れ、組物は出組で格天井をうけ、鏡板には円形の輪郭をとり、花鳥の様々が画かれています。

本尊は、一木造り室町時代の作と伝えられる千手観音、西国をかたどる西方淨土の阿彌陀如来、坂東をかたどる東方瑠璃光世界の薬師如来がまつられ、日本百観音結願寺の特殊性を出しています。堂内には大日如来の胎内仏で初期鋳造の阿彌陀如来、享保十八年諸国信者の寄進による鋳造子育観音など、境内には百観音結願堂、仏足堂をはじめ、七観音、 三十三観音、六地蔵などがまつられています。

観音堂前には、百観音宝前のお砂を納めたお砂踏みがあり、この上で三体の御本尊を拝むことにより、百観音巡礼の功徳が得られると信じられています。また、観音堂の傍の崖下に、清浄長命水を湧出する寺名のおこリの水くぐりの岩屋があり、札所巡礼を終えた々は、ここで再生儀礼の胎内くぐりをし、長命水をいただき、笈摺を納め心身共に清浄にて俗世の生活に帰ったと言われています。

皆野町教育委員会

 

 関連記録・コース


 曹洞宗(そうどうしゅう)

禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。

 

 千手観音(せんじゅかんのん)・千手千眼観自在菩薩

六観音の一つ。限りない慈悲を表す菩薩で、千の慈悲の眼と千の慈悲の手をそなえ、生ある者を救うという。二七面四二臂の像が一般的。千手千眼観世音。千眼千臂観世音。

 

 秩父三十三観音霊場・秩父三十三ケ所

秩父地方にある三十三ヶ所の観音の霊場。実際は三十四ヶ所あり西国三十三観音霊場坂東三十三観音霊場と合わせて日本百観音霊場とした。

 

 道元(どうげん)・承陽大師

鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。

 

 六観音(ろくかんのん)

六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

 

 西国三十三観音霊場・西国三十三ヶ所

近畿地方を中心に散在する33ケ所の観音霊場。花山法皇の巡礼を創始とすると伝えられる。室町時代から民間人の参拝が増え、江戸時代に盛んとなった。

 

 坂東三十三観音霊場・坂東三十三ヶ所

源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として制定したと伝えられてる33ヶ所の観音霊場。神奈川・埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉にかけてある札所を巡拝すると1,300キロメートルになると言う。

 

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