秩父観音霊場33番の寺は菊水寺です。奈良時代に行基が開創したと言われる古刹です。かつては現在の地より少し離れたところに境内があり、菊水の井があったことから寺名になったと言います。
かつて小坂下にあった菊水寺の別当寺が長福寺でした。永禄12年(1569年)の武田信玄の焼き討ちで菊水寺が灰燼に帰したとき、本尊は長福寺に移されたと言われています。
本堂の土間には秩父市指定の文化財の「子がえし」と「孝行和讃」図が掲げられています。「子がえし」は江戸時代に盛んであった間引きを諌めたもの、「孝行和讃」はお寺で読み書きを教えた時に教科書の役割を果たしたものと言います。
禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。
鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。
源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として制定したと伝えられてる33ヶ所の観音霊場。神奈川・埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉にかけてある札所を巡拝すると1,300キロメートルになると言う。