秩父観音霊場15番の寺は少林寺です。秩父鉄道の踏切の近くで狭い道は入りにくいところです。石段を登ると白い本堂があります。扁額は五葉聖堂、天井にはたくさんの奉納札が貼っていました。明治時代、神仏分離令で廃寺となった母巣山蔵福寺、東町柳島にあった五葉山少林禅寺が合わせ札所を継承しました。その歴史が扁額の五葉の文字にも残っているようです。
境内には秩父事件の歴史が紹介されています。明治17年、吉田町の椋神社で農民3000人が蜂起、生糸市場の暴落による生活困窮と当時の自由民権運動の影響で大きな暴動になったと言います。ここ少林寺にはこの戦闘で殉職した警官が祀られていると言います。
少林寺の庭園には白やピンク、黄色いボタンが咲いていました。
立てば芍薬、座れば牡丹は美しい女性を形容する言葉です。境内は牡丹の匂いが漂っていました。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。
源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として制定したと伝えられてる33ヶ所の観音霊場。神奈川・埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉にかけてある札所を巡拝すると1,300キロメートルになると言う。