金昌寺 


 寺社の種類:曹洞宗の寺
 山号:高谷山
 創建の時期:不明
 所在地:埼玉県秩父市山田1803
 訪問日:2008年10月25日

 

金昌寺は子育て観音の祀られる寺として知られていす。このためもあってか、観音霊場の参拝客の他にも子育てのお願にこの寺を訪れる人も多いようです。

山門の前に立つと大きさ3mと言う大わらじが目にに入ります。

大わらじが奉納される山門
観音堂へ向かう参道にはたくさんの石仏

朱塗りの観音堂にはたくさんの千社札が張られていました。

観音堂の脇にはひざに赤子を抱き乳を飲ませる子育て観音が祀られています。

観音堂へ向かう参道にはたくさんの石仏
千社札が張られた観音堂

金昌寺の境内にはたくさんの石仏が祀られています。

観音堂の脇には子育て観音
境内にはたくさんの石仏

境内の奥には弘法大師が祀られた小さな岩屋もあります。

境内にはたくさんの石仏
境内にはたくさんの石仏
境内にはたくさんの石仏
境内にはたくさんの石仏

石段の脇や斜面など所狭しと祀られる石像は1300体余りとか、長い年月で首の落ちた石像もありました。

境内にはたくさんの石仏
境内にはたくさんの石仏

 

関連記録・コース

 曹洞宗(そうどうしゅう)

禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。

 

 十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)

六道を教化する六観音の一つ。11の顔と2臂または4臂をもった姿の観音。

 

 秩父三十三観音霊場・秩父三十三ケ所

秩父地方にある三十三ヶ所の観音の霊場。実際は三十四ヶ所あり西国三十三観音霊場坂東三十三観音霊場と合わせて日本百観音霊場とした。

 

 空海(くうかい)弘法大師(こうぼうだいし)

平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

 

 道元(どうげん)・承陽大師

鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。

 

 六観音(ろくかんのん)

六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

 

 西国三十三観音霊場・西国三十三ヶ所

近畿地方を中心に散在する33ケ所の観音霊場。花山法皇の巡礼を創始とすると伝えられる。室町時代から民間人の参拝が増え、江戸時代に盛んとなった。

 

 坂東三十三観音霊場・坂東三十三ヶ所

源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として制定したと伝えられてる33ヶ所の観音霊場。神奈川・埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉にかけてある札所を巡拝すると1,300キロメートルになると言う。

 

 真言宗(しんごんしゅう)

弘法大師空海(774~835)が唐で学んだ密教を教義に平安初期に開いた。大日如来を教主とし、身口意(しんくい)三密の加持力で即身成仏(じょうぶつ)させるのを本旨とする。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

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