お庭駐車場9:45~2355m付近10:15/30~大沢崩れ12:15/50~2380m付近13:20/30~御庭駐車場15:10
10月になっても不安定な天気が続きそうです。天気予報では動きの遅い台風の影響と言うことで来週の初めまで雨模様とか、雨が続く前の貴重な晴れ間と言っていました。
平日と言うこともありスバルラインを登る車は多くありません。それでも奥庭の駐車にはお中道を歩くのか数台の車が停まっていました。
思いのほかきつい石の階段の道を登って行くとお中道の分岐です。すでに標高は2300mを超えた雲の上、青空の下に大きな富士山の山頂が見えています。
富士山のお中道は視界が開けるところです、真っ白な雲海の先には南アルプスの山々がその頂を浮かべています。三角形の頂は北岳、それから続く稜線は間ノ岳や農鳥岳、少し離れ塩見岳や悪沢岳、赤石岳の頂も見付けることができました。
補修工事が行われている林道から道標に導かれ大沢崩れへの登山道へ、シラビソの林の中に続く薄い踏み跡は、それなりに人も入っているようです。しばらく進むと崩壊などで危険個所があると言うことでトラロープが張られていました。
紅葉はがじまった登山道は緩やかにアップダウンを繰り返す道です。近くに林道があるためか林の中には不明瞭な踏み跡が付いていました。
やがて登山道は小さな沢を越えます。その先は倒木と再びトラロープがありました。ここで出会った方は何度もお中道は歩いているとのことですが滑沢から先は崩壊のため戻ってきたと言っていました。
たどり着いた滑沢は巻き上がるガスの中です。少し登ったところに沢を渡る踏み跡があるようですが沢の壁が崩れています。GPSを頼りにザレた斜面を下ると踏み跡があります。
崩れかけた沢にはしっかりした道が付けられています。大沢の工事用に整備されている道のようです。
滑沢の次は仏石流し、この沢にも新しい土嚢が置かれ道が整備されていました。
もともとのお中道は山頂側に少し登ってところを通っているようです。シラビソの林の中には工事用の仮設と言うことですが丸太を組んだ木橋が続いていました。
一番沢、二番沢をこえると前沢です。沢の壁は小さな岩場になっていて太い固定ロープが張られています。ミルク色のガスの中からは小石が落ちる小さな音が聞こえいるようです。
紅葉に包まれたカラマツの雑木林を過ぎると大沢のお助け小屋です。大沢崩れの工事関係者も宿泊しているところのようです。この下では工事行われているようでガスの中から低いモーターの音が聞こえていました。
富士山には800ほどの沢がありその中で最大な沢が大沢と言います。大沢の崩壊は古くから続いているようで現在では1日に275トン、大型ダンプカーで28台分ほどの土砂が崩れていると言います。
富士山は10万年前から噴火を繰り返した火山で、山としてはまだ若い山です。やがては風雪などによって侵食が進み開析された山体となっていく運命にあります。その過程が目の前で繰り広げられていると言うことなのでしょう。
案内板には幸田文の随筆「崩れ」が紹介されていました。安部川源流の大谷崩れを訪れた幸田文は自然の力に感銘を受け全国の大崩壊地を訪れ、昭和51年には大沢崩れを訪れたと言います。数年前に登った大谷崩れの登山口には幸田文の文学碑が建っていた記憶が残っています。
お助け小屋の脇には崩れかけた神社があります。大沢崩れの展望台はその先、現在は崩壊が進み大沢崩れを渡ることはできません。江戸時代は一ノ越で、その後崩壊が進んだ明治時代は二ノ越で、昭和に入って三ノ越で大沢を越えていました。昭和52年に転落事故が発生して閉鎖されたと言います。
現地の案内板などによるとお中道は富士山頂に3回以上登ったものにのみ許される修行の道、それでも19世紀初めにはお中道回りの行者が年間100人以上いたと言う記録が残っているようです。
大沢崩れからは往路をたどり奥庭の駐車場に戻ることにします。
紅葉したナナカマドをカメラに収めながら沢を越えていきます。午後からは青空が見え始めてきたようで前沢や仏石流しからは真っ青な青空の下に大きな富士山がそびえていました。
たどり着いた奥庭の駐車場にはまだ車が数台、奥庭園地やお中道を歩いてきた人のようです。
大沢崩れまでのコースは山梨県がトラロープを張っている区間、滑沢は崩壊が進んでいますが下側の踏み跡の先にはしっかりとした道が付けられています。
あまり危険なところはないもののやはり多人数で歩くのは気になるところです。途中、お助け小屋から登ってきた工事関係の方と出会いましたが自己責任と言いながら安易に立ち入るのは避けたほうが良さそうなコースでした。