日本の最高峰である富士山。これほど見るものに感動を与えてくれる山も数は少ないでしょう。忍野村から眺めた富士山や、本栖湖の湖面に映った逆さ富士、石割山や杓子山から眺めた大きな富士山・・・、何れもまさに絵になる景色ということができます。
富士山の登山シーズンは梅雨明けから8月の終わりまでの約1ヶ月。長かった梅雨が明けると連日のように真っ青に晴れた夏晴れの日が続いています。富士山の登山は六合目か八合目の山小屋で一泊した後、翌朝ご来光を眺めに山頂に登るのが一般的な行程とか。しかしガイドブックを見ると少し厳しくはなるものの、日帰りで山頂を目指すこともできそうです。
中央道の相模湖インターから一般道に降り須走の登山口へ。赤松の林が続く自衛隊の演習場の中を登って行くと、須走五合目の駐車場にたどり着きました。広い駐車場もすでにたくさんの車で溢れています。
須走五合目には菊屋という茶店が店を開けていました。お土産などのほか昔の富士登山の名残を伝える金剛杖を売っています。山小屋で焼き印を押してもらいながら山頂へ向かうとか。江戸時代に盛んなったという富士講の記録にも、白装束に身を固め金剛杖を突きながら「六根清浄お山は晴天」と唱え、山頂を目指す挿し絵があった記憶があります。
菊屋の前から雑木林の中を緩やかに登り始めます。やがてあたりの木々が背丈の低い潅木になってくると、晴れ渡った夏空の下に大きな富士山の頂上が迫ってきます。
道端で朝食の後、山頂を目指す長い行列に加わることとします。振り返るとうっすらと霞んだ山中湖、その向こうに広がる山並みは丹沢や箱根の山々。なかなか素晴らしい景色が広がっています。本五合目を過ぎると森林限界を超えたようで、オンダテやフジアザミなどが沢沿いに花を付けていました。
六合目、七合目の太陽館、本七合目の見晴し館と小休止を繰り返しながら、ジグザグに続く登山道を一歩また一歩と登って行きます。仰ぎ見る山頂もまだまだだいぶ遠いようです。やがて右手に吉田口から登ってくる登山道を合せると本八合目です。
本八合目には江戸屋という山小屋が建っていました。山小屋の叔父さんの話ではここから山頂まで1時間半ほど。山頂の鳥居もはっきりと見えるますが、もう少しがんばらなければならないようです。富士山には外国人がよく訪れるようです。日本の最高峰ということもあり、日本を訪れた記念に登っているのでしょう。7月の山開きには日本人の登山者より外国人のほうが多かったと言います。
八合五尺、九合目とジグザグに登りを繰り返しすと山頂の鳥居は目の前です。息を切らせながら最後の階段を登ると、外輪山の一角に建つ久須志神社にたどり着きました。
山頂には数軒の山小屋が軒を並べています。ブルドーザーがここまで登ってくるので、このような山小屋を造ることができたのでしょうが、山頂にできた街といった感じです。店先には「今日は予約客で満員…」の張り紙。この数週間が登山客のピークとは言いながら、夏の富士山は混雑しているようです。
お釜と呼ばれる大きな噴火口の向こうには、富士山の頂上である剣ヶ峰が見えます。時計はもう5時半。もう辺りは夕闇が迫りはじめています。これから剣ヶ峰を目指すのは多少無理のようです。大日岳の小さな社に参拝をした後、暗くなりはじめた下山道を急ぐことにしました。
登りに比べやはり下りは楽なものです。滑りやすい砂のような登山道も、むしろ適当なクッションとなり勢い歩幅も大きくなってしまいます。これが砂走りの名の所以でしょうか。八合目付近では下から駆け上がってくる人が一人。毎年、テレビで中継される登山マラソンの練習をしているのでしょうか。なかなか元気の良いものです。
八合目で登りの道と分かれた砂走りを、砂煙を上げながら下って行きます。すでに辺りは夕闇の包まれ、ヘッドランプの薄暗い明かりを頼りに、五合目を目指して下って行きます。左手の山小屋には明かりが灯り、夜間登山のヘッドランプが一つ二つと揺れています。そろそろ足が疲れはじめてくる頃、潅木で覆われた砂払いの山小屋にたどり着きました。ここには男性が3人。一人が足を痛めたと言います。また懐中電灯も持ってきていなかったとか。山を甘く見るとこのような嵌めに陥ると思いながら、放っておく訳にもいかないのは当然です。懐中電灯の1つを貸し、一緒に山道を下って行くこととします。潅木林の中の道は木の根や石が転がっています。5人に懐中電灯2つではなかなか時間がかかるものでした。