愛鷹山は日本200名山や山梨百名山にも名前を連ねる山です。愛鷹山は箱根火山と同じ時期に活動していた古い火山で、長く連なる頂は愛鷹山、大岳、袴腰岳、前岳、位牌岳、鋸山、呼子岳、黒岳、越前岳の9つの頂に別れています。かっての噴火口は位牌岳の西側にあったと言われています。
登山道は十里木から越前岳へ登るもの、山神社から越前岳に登るものなどが良く利用されているようですが、位牌岳から鋸岳の間は崩壊が進んだため通行が禁止されていると言います。
登山口である山神社の駐車場からは暗いスギ林の中を緩やかに登って行きます。送電線の下を過ぎると程なく林道の終点にたどり着きました。小さな駐車スペースには地元ナンバーの車が2台停まっています。右手から大久保から登ってくる登山道を合わせるところで、テレビの中継塔が建っていました。
木の鳥居をくぐると松永塚と刻まれた大きな石碑があります。近くに建つ案内板によるとこの山の山頂で遭難した静岡商業高校の学生松永氏と、登山道の開削に尽力を尽くした御殿場実業学校の生徒の功績を記念したものとか。低い山と言いながら岩峰が続くこの山は多くの遭難者を出した山でもあるようです。
暗い杉木立の中を緩やかに登って行く登山道は、やがて枯れた沢の中を登って行くようになります。枯れ葉に覆われた登山道は左手に山腹を巻くようにしながら稜線へと登って行きます。稜線直下に建つ愛鷹山荘は営業していないようで、無人・無料の案内板が掲げられていました。
ここから急な坂道をひと登りすると富士見峠です。右手に登って行く道は黒岳へと登る道、越前岳へは左手の防火帯のような広い道を登って行きます。スギなどに覆われた稜線を登って行く道は緩やかに高度を上げていきます。ここは自衛隊の富士演習場の近くにあるためか、時々銃声が聞こえてきます。
緩やかに高度を上げていくと左手が開けた鋸岳展望所。逆光に霞んだ鋸岳の岩峰が黒いシルエットとなってそびえていました。ここからも再び展望が利かない稜線を登っていきます。やがて杉の林から雑木林の中を登って行くようになると、冬枯れの梢の先に富士山がその姿を見せ始めてくれます。気温もかなり低くなっているようで道端には溶け残った霜柱が目立つようになってきます。
木の根を頼りに急な坂道をひと登りすると富士見台です。目の前には雲の中から頭を出した大きな富士山がそびえたっています。ここから見る富士山は50銭紙幣のデザインにも描かれたものとか。三ツ峠や天子ヶ岳とともに富士山の好展望台として知られたところと言います。
富士見台から灌木に覆われた稜線を緩やかに登って行くと越前岳の山頂です。お馴染みの山梨百名山の案内板と三角点が建っていました。駿河湾側から風が吹き上げる山頂はかなり気温が下がっているようです。山頂は巻き上がる雲に包まれ、先ほどまで見えていた富士山もその姿を隠してしまいました。
山頂の木陰で昼食をしたのち呼子岳へと下ることにします。細くなった稜線を下る道は一気に高度を落としていきます。夏には色々な花に出会えるという稜線も、今は吹き上げる白いガスに中です。小さく登り返した頂は高場所と言われるところで、尾根通しに下って行く道は富士市方面に下って行く道とか。あまり利用する人もいないのか、踏み跡も薄いようです。
呼子岳への登山道は滑りやすい坂道をなおも下って行きます。回り込むように登り返した小さな頂は呼子岳。山頂を示す標識の先は深く切れ落ちています。地図の上ではここから大岳を越え富士市方面に下って行く道があるようですが、荒れているのかトラロープで通行止めになっていました。
木の根につかまりながら急な坂道を下って行ったところが割り石峠です。右手は須津川へと落ちていくルンゼでかすかに踏み跡が見えているようです。ネットの記事などを見ると大棚の滝からこのルンゼを登ってくる記事もありますが、落石などの危険が多く一般向けの登山道ではないようです。
割り石峠からは山神社に下ることにします。沢の源頭部を下って行く道は大きな岩がゴロゴロと転がる歩きにくい道です。枯れた沢を幾度か渡り返すとやがて沢筋も広くなってきます。
第二ケルン、第一ケルンを過ぎるとやがて小さな堰堤が現れます。ここからは暗い杉の林の中の道を下って行きます。堰堤の工事に使われたのち使われなくなったのか、すっかり舗装が剥がれた道を下るとの広い河原にたどり着きました。車を停めた山神社の駐車場は川を渡った杉林の中を少し下ったところです。