水ヶ塚登山口8:05~一合五勺8:50/9:00~1830m付近9:35/45~三合目下10:55/11:10~宝永第3火口11:25/12:00~幕岩入口13:25/35~御胎内祠13:50~水ヶ塚登山口14:30
6月の末から続く連日の熱暑、関東をかすめた台風の後は暑さに加え不安点な天気も続いているようで、今日も午後からは雷雲が発生すると言います。
たどり着いた水ヶ塚公園は富士宮口五合目のマイカー規制に伴いシャトルバスが出発するところです。大きな駐車場もたくさんの車で一杯でした。
水ヶ塚公園の周辺には腰切塚や浅黄塚、東臼塚、片蓋塚、鑵子山、黒塚などの側火山があります。富士山の側火山はの中で最大なのは今回登る宝永山、北側には大室山や長尾山がありその総数は70以上あると言います。
水ヶ塚から宝永火口へと続く道は須山登山歩道です。須山登山道は富士宮登山道、吉田登山道とともに古くからあったと伝えられる登山道です。明治の初めに御殿場口登山道が開かれさらに御殿場線が開通すると登山者は御殿場口登山道を利用しるようになり須山登山道は一時衰退しました。
平成9年に須山神社から弁当場を経て水ヶ塚公園への登山道が、さらに御殿庭を経て宝永火口へと続く須山口登山歩道が復興したと言います。山頂を目指すハイカーで賑わう富士宮口登山道などとは比べようはないものの静かな自然が楽しめるところとして山行記事なども紹介されてます。
登山道は暗い樹林帯の中を緩やかに登って行きます。雨などで土削られた道を登って行くとやがて一合五勺、右手へと別れる道は幕岩や二ツ塚へと登って行く道です。標高は1600mほど、日の光はささないものの気温はかなり上がっているようで額からは大粒の汗がしたたり落ちてきます。
やがて傾斜が急になってくると二合目、コメツガなどが目立つようになった周辺は御殿庭と呼ばれ自然が創り出した庭園と言ったところです。
二合五勺で二ッ塚への道を分けさらに高度を上げると三合目です。予定では宝永第一火口縁まで登って行こうと思っていましたが3時を過ぎると激しい雷雨とか、最近は便利なもので雨雲レーダーで数時間先の雨がかなり正確に把握できます。今回は宝永第3火口の傍で昼食をとったのち幕岩を通り水ヶ塚に戻ることにしました。
目の前に大きく口を開けるのは第三火口、火口壁の上には第二火口、第一火口が大きな口を開けています。宝永噴火は富士山噴火の歴史に残る最後の噴火でその噴煙は、遠く江戸の街にも大量の降灰をもたらせたとされています。
ネットなどでは富士山の噴火が近いと言う記事が目に留まりますが事実にならないことを願うばかりです。
御殿庭上と記された分岐は宝永火口を目の前にすることのできるところです。火口壁の上からは斜面を下ってくる人が点のようになって見えていました。この周辺は森林限界の境目と言うことで付近には背丈の低い落葉松が、ここから上の斜面はザレた岩屑に覆われていました。
滑りやすい登山道はジグザグを切りながら落葉松の林の中を下って行きます。しばらく下ると黒いスコリアの沢を渡ります。木の生えない一帯はフジアザミやメイゲツソウなどの目立つところです。
小さく登ったコルは天狗塚、さらに進むと三辻です。ここは道を右に、まっすく進む道は二ッ塚を越え御殿場口五合目へと下って行く道です。
落葉松の林の中を緩やかに下って行く道は幕岩の分岐にたどり着きました。時間があれば幕岩に降りても良いのでしょうが雨も気になるところです。富士演習場のすぐ近くと言うことで大きな大砲の音が聞こえていましたがそれに交じって遠くから雷の音も聞こえてくるようです。
道端で一息を入れたのち、雑木林の中を下って行きます。しばらく下ると傾斜も緩やかになり御胎内窟上の分岐にたどり着きました。
御胎内祠は富士山溶岩洞窟の一つです。その形が人の胎内に似ていることから御胎内と名付けられました。かつては登山者を調べる須山口の役所もあったと言います。
ここからも緩やかに下って行く遊歩道のような道が続いています。徐々に近づく雷の音に急かれながら下って行くと水ヶ塚の登山口にたどり着きました。
車に乗りしばらくすると大粒の雨が落ちてきました。雨雲レーダーのおかげもあってか雨にもぬれずに下ることが出来た山行でした。
富士山は火山であること、山としてもまだ若いなどもあり植物の種類はあまり多くありません。それでも富士山を代表するメイゲツソウやフジアザミなどが砂礫の斜面に咲いていました。