聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、相模国国分僧寺の後継寺院です。奈良時代の8世紀中期、相模国分寺と相模国分尼寺があわせて建立されました。
鎌倉時代以降、相模国分寺は衰微しました。戦国時代には戦火によってほぼ焼失し、高台にあった薬師堂のみが残されていたと言います。現在の相模国分寺は、その薬師堂を高台の下に移し再興したものです。
境内の銅鐘は、正応5年(1292年)国分に居館を構えていた海老名氏の一族国分季頼が国分尼寺に寄進したもので国の重要文化財に指定されています。
真言宗の宗派である。総本山は金剛峯寺。高野宗・高野派とも呼ばれる。全国に約3700の末寺がある。
東方浄瑠璃世界の教主。人々の病患を救うとともに悟りに導くことを誓った仏で医薬の仏として信仰される。右手に施無畏印(せむいいん)を結び、左手に薬壺(やっこ)を持つ。脇侍に日光菩薩と月光菩薩、眷属として十二神将が配される。
第45代天皇(在位:724年2月4日~749年7月2日)文武天皇の第一皇子。光明皇后とともに仏教を厚く信仰。全国に国分寺・国分尼寺を置き東大寺を建立して大仏を造立した。陵墓は奈良県奈良市法蓮町の佐保山南陵。
第42代天皇(在位:697年8月1日~707年6月15日)天武天皇・持統天皇の孫。草壁皇子の第一皇子。大宝律令を制定。万葉集、懐風藻に入集した。陵墓は奈良県高市郡明日香村栗原の檜隈安古岡上陵。