東京・区部の庚申塚や石碑・石仏 
、芝公園の十体地蔵
、甲州街道新一里塚石標、烏山村大橋場の跡の石塔、下高井戸の庚申堂、永福寺の五輪庚申供養塔、永福寺の地蔵堂、港区東漸寺傍の石仏、品川区来迎院石造念仏講供養塔、瀬田の笠付き庚申塔、宣明院上行菩薩、坂下平和地蔵、塞の大神碑、根津神社の庚申塚、駒込妙義坂子育地蔵※ アイコンをクリックすると標石にリンクします。
訪問日:2025年4月28日
所在地:東京都港区芝公園3丁目4
芝公園に十体の地蔵が祀られていました。GoogleMapでは平成末広稲荷社と表示されているが小祠は地蔵堂のようです。
訪問日:2025年3月26日
場所:東京都世田谷区給田3丁目29
旧甲州街道に一里塚があります。明治になって測量を行った結果新たに設置された一里塚です。
訪問日:2025年3月26日
場所:東京都世田谷区南烏山4丁目1
旧甲州街道の門に武州烏山村大橋場跡の石塔があります。傍にはお地蔵さんと庚申塔がありました。
訪問日:2025年3月26日
場所:東京都杉並区下高井戸5丁目5ー27
鎌倉街道の交差点に庚申堂があります。馬頭観音と2基の庚申塚が祀られていました。
鎌倉古道としては上道、中道、下道が知られていますが、多くの軍用道路としての道が存在していたとされています。高井戸の鎌倉街道もまたそのような道の一つなのでしょう。
訪問日:2025年3月26日
場所:東京都杉並区永福1丁目23ー11
五輪庚申供養塔が祀られる庚申堂です。正保三年(一六四六)に造立された、区内最古の庚申塔です。
訪問日:2025年3月26日
場所:東京都杉並区永福1丁目23
永福寺入口にある地蔵堂です。
訪問日:2025年3月13日
場所:東京都港区高輪3丁目16
東漸寺近くの狭い小路にある石仏、お地蔵さんのほか供養塔があります。
訪問日:2025年3月10日
場所:東京都品川区大井6丁目15ー22
来迎院の門前に石造念仏講供養塔があります。
≪来迎院石造念仏講供養塔≫ 品川区教育委員会
江戸時代に盛んに行われた念仏講の供養塔で、 右側の堂内に二基、真ん中の堂との間に一基が建てられている。
堂内の地蔵菩薩像を彫った舟型の二基の塔は、 明暦2年(1656)と万治2年(1659)の造立で、堂外にある六字名号(南無阿弥陀仏)を彫った笠塔婆型の塔は、寛文7年(1667)の造立である。いずれも江戸時代の初期に、大井村に念仏講が存在していたことを示す資料として貴重である。
この場所は、もともと来迎院の境内であったが、道路建設のために現在のようになっている。
訪問日:2023年6月4日
場所:東京都世田谷区瀬田4丁目11ー25
道端に大きな笠付き庚申塔があります。
訪問日:2018年1月3日
場所:東京都江東区平野2丁目3-4
下町の交差点に上行菩薩が祀られています。現地の縁起によると寛政10年(1798年)久世源広誉の寄進によるものと言います。
上行菩薩は法華経を末法悪世に広める指名を託された四菩薩の一つで衆生の苦痛を癒す誓願を持つものとされています。
大正12年の関東大震災や昭和20年3月20日の東京空襲で菩薩像は大損傷を被りましたが修復されました。
訪問日:2016年11月25日
場所:東京都文京区千駄木3丁目43-1
不忍通りの街角に坂下平和地蔵のお堂があります。現地の案内板によると昭和20年3月、B29の空襲によって千駄木、谷中では大きな被害を受け500人以上の人が亡くなったと言います。
ここには鹿島湯と言う銭湯があり石炭貯蔵庫を防空壕に使用していましたが爆弾が直撃、多くの人が亡くなったと言います。昭和32年この方々の冥福と戦争を起こさぬことを誓い坂下平和地蔵尊が建立されたと言います。
訪問日:2016年11月25日
場所:東京都文京区弥生1丁目2-19
現地の案内板によると塞の大神は馬込の追分(旧中山道と旧日光将軍御成り道の分岐)にあったものです。塞の大神は邪霊の侵入を防ぐ神で、道行く人を災難から守る神です。
みちのかみとも道祖神とも言われています。古くは古事記に登場する黄泉の国と葦原の中つ国を分ける黄泉比良坂にあった大石をその原型とするようです。
訪問日:2016年11月25日
場所:東京都文京区弥生1丁目2-19
駒込稲荷神社の傍に6基の庚申塚があります。現地の案内板によると明治以後、道路の拡幅などにより根津神社に納められたものです。
中でも寛永9年(1632年)の庚申供養塔はもっとも古いものです。都内で一番古いのは足立区花畑の元和9年(1623年)のものでその9年後に建立されたものと言います。
訪問日:2016年1月4日
場所:東京都豊島区駒込2丁目6
旧日光御成り道の妙義坂に祀られた地蔵堂です。現地の案内板によると寛文8年(1668年)に馬込の今井家が子孫繁栄を願い祀ったとされています。
堂内にはこの近くで交通事故に遭った少女を供養するため、おかっぱ頭の石像が祀られていました。