藤原9:45-1h25m-猿江藤原分岐11:10/20-0h50m-小河内峠12:10/13:15-0h35m-中ノ平遺跡13:50-0h05m-猿江藤原分岐15:55/14:10-1h05m-藤原15:15
北秋川の藤原と奥多摩湖を結ぶ陣馬尾根は古い峠道です。この周辺には縄文時代の住居跡が見つかるなどその歴史はかなり古いようです。周辺には、「神戸・かのと」、「人里・へんぼり」、「笛吹・うずしき」、「事貫・ことずら」など珍しい地名が多くあります。人里はモンゴル語のフンボルがなまったものと言われ大陸からの渡来人かこの地に定住したことを示しているようです。
また時代が進むと合戦で敗れた落人がこの周辺に逃れてきたと伝えられています。近くの和田には鎌倉時代、北条氏との勢力争に敗れた和田一族。神戸には戦国の武将武田氏の残党が移り住んだと言います。これらの集落を結ぶ峠道の一つが小河内峠で、長い山里の歴史を見つめていた峠であったのでしょう。
藤原のバス停には古い石碑や石仏が並んでいます。かなり古いもののようでお地蔵さんや宝篋印塔は補修のため金属の枠で補強されていました。登山口は民家の脇の石段を登り猿江へと向かう舗装道路へ。途中には小さな駐車スペースもあります。
見上げる大きな杉のそばには春日神社があります。石段の上にそびえる古い社殿には天狗の面が掲げられています。この集落の鎮守社なのでしょうが社伝や由緒などの紹介はありませんでした。
春日神社の先が猿江と旧小林住宅との分岐です。ここは分岐を左に。猿江へと続く山道を緩やかに登り始めます。杉林の中に続く暗い舗装道路はこの上の集落へと続いているようで道に沿って電線も張られています。
登るにつれ細くなる山道は軽トラックでも登ることは出来そうにありません。しばらく登った所には耕運機のエンジンを付けた運搬用のキャタピラ車両が打ち捨てられていました。
緩やかに登る山道はやがて稜線の上を登って行くようになります。明るい雑木林の中を登る道に変わると猿江と藤原を分ける分岐点です。
左手にはなだらかな月夜見山、その先には三頭山の頂きも見付けることが出来ます。ここからは小尾根を巻くように雑木林の斜面を登って行きます。あまり人が入っていないようで崩れやすい斜面に切られた登山道は落葉に埋もれ左手が切れ落ちている所もありました。
たどり着いた小河内峠は月夜見峠と御前山を結ぶ縦走路上の峠です。小河内峠と記された道標の先には小河内湖が青い水をたたえています。その水面はこの時期かなり下がって湖岸の斜面が顔を出していました。
近くの日溜まりのピークで昼食です。木立の先に富士山の山肌が見え隠れしています。月夜見峠へと続く縦走路の先には黒川鶏冠山、冬枯れの木立の先に六ッ石山から雲取山の稜線が見え隠れしていましたが展望は今一つです。
予定では御前山から湯久保尾根をたどり藤原に下る計画でしたがやはり時間的にきつそうです。今回は小河内峠から藤原に戻ることにしました。
途中、中ノ平の遺跡に立ち寄ることにします。案内板には縄文時代の住居跡があった所と言います。暗い杉林の中に踏み行ってみましたが遺跡らしいものは見つかりませんでした。
藤原と猿江の分岐で一休みしたのち、藤原への尾根道を下ることにします。この道もまた訪れる人が多くないようで登山道はまさに枯れ葉の海、カサカサと音を立てながら下る冬枯れの山歩きは気持ちの良いものです。
暗い杉林の中をしばらく下ると山上に開けた集落の脇を下るようになります。明るい日を浴びた湯久保尾根の上には冬枯れの御前山の頂が見えていました。
ここからは急な狭い舗装道路を下って行きます。車が登って来ることも難しい舗装道の脇にはお茶畑などでよく見かけるモノレールがありました。
登山口近くに居た叔父さんの話では山上集落の住民のため福祉モノレールが4本設置されていると言います。しかし設置後も過疎化は止まらないとか、途中にあった旧小林邸は改修工事の最中のようで、完成すると観光客も訪れるようになると言っていました。何処の山里も同じなのでしょうが老齢化とともに過疎化の悩みは尽きないようです。