千足有料駐車場9:25-天狗滝9:55/10:05-綾滝10:30/50-つづら岩11:40/12:00-富士見台12:20/55-大岳神社分岐13:35-鋸山分岐13:50-大岳山14:20/40-大岳神社14:50-大岳神社分岐15:00-檜原白倉分岐15:15-850m展望台15:40/50-白倉バス停16:45-千足有料駐車場17:00
何度も登った奥多摩の大岳山にも登る人の少ないサブコースが幾つもあるようです。この春に登ったサルギ尾根もそのようなコースの一つですが、天狗滝からつづら岩を経て大岳山を目指すコースもガイドブックなどにたびたび登場するコースです。
たどり着いた千足の登山口には有料の駐車場があります。ここに車を停め急な舗装道路を登って行きます。途中の杉林の中には檜原神社が祀られていました。途中で出会った地元の人の話では天狗滝からつづら岩を通り茅倉へと下るコースや馬頭刈尾根から十里木に下るコースも良く歩かれている言っていました。
山行記などでは払沢の滝入口の駐車場に車を停めていた記事が多かったようですが天狗岩への舗装道路の途中にも数カ所、車を停めれそうなところがあります。しかしハイシーズンの休日などはすぐに一杯になってしまうでしょう。
舗装道路の終点からは本格的な山道が始まります。小さな流れを渡渉するところもあります。関東ふれあいの道に指定されていることから登山道もよく整備され彼方此方に道標も建っています。
最初に現れたのは小天狗滝です。登山道の脇に小さな滝が懸かっていました。やがて見上げる大きな岩の下を巻くように登って行くと天狗滝にたどり着きます。落差はおよそ20m、岩の壁を滑り落ちるように白い飛沫を上げながら滝が落ちていました。
天狗滝からは幾分緩やかになった杉林の中を登って行きます。小さな流れを渡渉しながらしばらく登ると綾滝です。こちらも落差20mほどの滝で白い飛沫が岩の斜面を滑り落ちています。滝つぼの近くには三郷不動尊の祠が祀られていました。
ここからつづら岩までは標高差は300mの急坂が始まります。登山道わきにはこの先道悪しと書かれた道標があります。木の根に掴まり息を切らせながら急な坂道を登って行きます。やがて木立の中につづら岩の岩峰が見え隠れすると馬頭刈尾根の縦走路にたどり着きました。
つづら岩はクライミングの練習ゲレンデにもなったいるところで、切り立った岩場にはハーケンなども残っています。
ここからは尾根通しの登山道が始まります。登山道には小さな岩場や鉄製の梯子などもありますが関東ふれあいの道と言うこともあり道標なども整備された登りです。
しばらく登ると富士見平です。そろそろ紅葉が始まった広場には東屋とベンチが置かれていました。平日にもかかわらずこのコースを訪れるハイカーも何人か、七代の滝から登って来たと言う初老のハイカーは天狗滝へと下ると言っていました。
天狗平で昼食を取ったのち雑木林の尾根道を登って行きます。天狗岩からは逆光の笹尾根、その先には丹沢の山々が霞んでいます。
緩やかに登って行く尾根道はやがて大岳神社と鋸尾根の分岐にたどり着きます。ここ馬道を左に、大岳山の山頂を巻きように進をしばらくたどると鋸尾根の分岐です。
ここから道を右に、小さな岩場や鎖場を越えると大岳山の肩です。海沢からの道が左手から登ってきますが通行止めになっているようです。たどり着いた大岳山の山頂は曇りがちな午後の空の下です。右手には御前山、その先には三頭山の頂が青いシルエットとなっていました。
帰りは白倉へ下ることにします。大岳神社からの道をたどると馬頭刈尾根の分岐に戻りました。ここからは雑木林の心地良い尾根道を下って行きます。
たどり着いた白倉への分岐からは杉と雑木林の登山道を下って行きます。かなりの急坂のようですがジグザグが切られていることもりそれほど急な下りではありません。この道は大岳神社の表参道になっているようで、登山道には文字がかすれた丁目石を見付けることができます。
途中、目の前の展望が開けるところで一息を入れるとほどなく舗装道路を横切ることになります。白倉バス停まで16分と書かれた道標に導かれながら杉林を下って行くと大岳神社の鳥居にたどり着きました。ここが1丁目のようで傍には大きな庚申塚や大嶽社と彫られた石塔も建っています。大岳山信仰が盛んだったときにはこの参道をたくさんの人が登拝していたのでしょう。
白倉の山里には大岳神社の里宮が祀られています。大岳神社は狼信仰の残るところとしても知られています。神社の祭神には大国主命、少彦名命、広国押武金日尊とともに日本武尊が祀られています。秩父の三峰山などと同じように日本武尊の東征にまつわる狼の伝説が残っているところです。
大岳山山頂の奥宮には山犬の形をした狛犬が祀られていましたが、里宮には厳つい顔の狛犬が祀られていました。また付近には二十三夜塚や庚申塚などもあり、古い里山の信仰が今も残っているようでした。