箭幹八幡宮(やがらはちまんぐう) 
東京都町田市矢部町にある神社です。
前九年の役の際、源義家が戦勝祈願を行ったという伝承が残っています。中世には小田原北条氏の配下・小山田氏一族の氏神として崇敬され、江戸期には矢部村の総鎮守として地域の中心的役割位を担ったと言います。
町田市指定無形民俗文化財
指定年月日 一九六三年(昭和三十八年)十月二十二日
矢部八幡宮の獅子舞は、一説には元亀・天正のころ(一五七十年代の戦国乱世のころ)から始められたといわれる。
獅子舞を関東に流布したのは小田原の北条氏であるともいわれるので、あるいはかなり古い伝統の流れをひくものかもしれない。
この獅子舞は、木曽や矢部の例祭や奥宮開扉の大祭などにおこなわれる。舞は「道行」と「御庭舞」とにわかれており、特徴は獅子宿から社前にむかうときの「道行」と木曽町を御輿巡幸のとき先導する役目をすることである。 また、獅子舞をするものの腰にさした五色の御幣をもらった人は、その年は無病息災で家内安全であるといわれている。
町田市教育委員会
町田市指定有形文化財
特? 入母屋造銅板葺、軒唐破風付
時期 江戸中期
指定年月日、一九九〇年(平成二年)二月一四日
随身門とは、神社外郭の門で武官姿の随身像を左右に安置した門をいう。
当、箭幹八幡宮の随身門は、桁行三間・梁行二間の入母屋造りの門で、桁行中央の間を通りとして軒に唐破風を設け、両脇間に神像を安置している。
軸部は、腰賞・内法貫・頭貫・台輪で固められ桁行の内法は虹梁を用い、中央は暮股で飾られている。柱上は実肘木付の三斗組とし、中備に撥束を配している。
尚、妻飾り・懸魚・隅木等の一部に後補と思われる改造が見られる。
製作年代は絵様。割型及び細部の造りから考え一八世紀前半頃と思われる。
町田市教育委員会
祭神 応仁天皇 配祀・神功皇后
例大祭 元月十五日
康平五年 源義家安倍氏を討ち 奥州より帰る途中 木曽に宿り 病にかかって毎夜悪鬼に責められる夢に見た
当社に祈願せしめられたところ 夢に神翁現れ 悪鬼を射倒すと見て病忽ち快癒した ここに於て本宮末社に至るまで尽く再興して神思に報いたと言い この時屋根に羽矢を挿入し 又境内に矢竹繁茂せるを以て 箭幹八幡宮と名つけこの地を矢部と称したと伝う
保元平治の乱に敗れた源義賢は大蔵の館に拠り これを迎撃した源義平は 木曽仲三兼任 渋谷金王丸 鎌田正清等を率いて 図師原付近に於いて合戦した 勝敗容易に決せず両軍乱戦死闘 善平の軍危うし見えた時 突如老翁と童子現れ
八幡宮の化身ならんと 神意を恐れ 遂に社前に和睦を誓った この時甲冑矢の根を埋めた所を根岸と名づけた
後 小山田有重所領十七郷の総鎮守として尊信篤く 社地建造物の寄進も多く 社参の道に今も鳥居坂の地名が残っている 寛文五年 代官高木伊勢守大鐘を鋳て鐘楼に掛け 後 代官簗田隠岐守亦社殿社殿を再建して 領民と共に盛大な祭儀を挙行した
明治に至り宮号は廃止されたが、戦後再び古名を復した 祭神の神徳広大 学問 産業 災厄防除の守護神として広く尊信されている
昭和三十八年四月
奥宮開扉大祭記念 宮司 加藤辰雄記、井上武書
関連記録・コース第15代天皇(在位:270年1月1日~310年2月15日 )仲哀天皇の第4皇子、母は神功皇后。神功皇后が新羅へ渡ったときに身篭っていたことから胎中天皇などと呼ばれています。記紀には渡来人を用いて国家を発展させ、中世以降は軍神八幡神としても信奉されでいます。
大和朝廷の勢力が飛躍的に発展した時期で一説に中国の歴史書に記述のある倭の五王の一人、讃とする説があります。陵墓は大阪府羽曳野市誉田6丁目の恵我藻伏崗陵。
6世紀前半に在位したとされる第26代継体天皇以前の天皇については、第21代雄略天皇を別として実在の可能性が薄いという見解があります。
仲哀天皇の皇后、父は開化天皇の曾孫、母は新羅から但馬に来住したという天之日矛(あめのひぼこ)の玄孫たかぬかひめ。
三韓征伐の中心人物で仲哀天皇が熊襲を討つため九州に赴き筑紫の橿日宮で急死すると、妊娠中にもかかわらず武内宿禰とはかり新羅に遠征したとされています。
この遠征により百済と高句麗も日本に帰服ししました。皇后は大和に戻ってから応神天皇を皇太子に立てて約 70年間皇太子の摂政としてみずから政治をとったと言われています。
第26代天皇(在位:507年2月4日~531年2月7日)武烈天皇没後嗣子がなく、大伴金村・物部麁鹿火(あらかび)らに越前から迎えられて河内で即位したと伝えられる。 このころ朝鮮半島における日本の勢力は衰え、筑紫では磐井(いわい)の乱が起こった。また仏教も渡来人によって伝えられ普及し始めた。陵墓は大阪府茨木市太田3丁目の三嶋藍野陵。
第21代天皇(在位:456年11月13日~479年8月7日)允恭天皇(いんぎようてんのう)第五皇子。宋書に見える倭王武とされる。雄略天皇の登場により大王による専制支配が確立され、大王を中心とする中央集権体制が始まったとする見方がある。考古学的に実在がほぼ確定している最初の天皇とされる。陵墓は大阪府羽曳野市島泉8丁目の丹比高鷲原陵。