徳持神社 


 寺社の種類:神社
 創建の時期:ー
 御祭神:誉田別命
 本殿の形式:八幡造り
 境内社:-
 所在地:東京都大田区池上3丁目38ー17
 訪問日:2025年2月8日

 

東京都大田区にある八幡神社です。宇佐八幡宮より御分霊した神社で徳持村の鎮守社です。境内の奥に朱塗りの拝殿、その前には珍しい健康歩道の案内板があります。

徳持神社の石鳥居
神輿蔵
御手水場
徳持神社の由緒書き
石段の上に拝殿
健康歩道の案内板
拝殿に神額
徳持田中稲荷神社の社
徳持田中稲荷神社の鳥居

 

《徳持神社の由緒書き》現地の案内板

御創建は建長年間(1249~55)と伝え、豊前(大分県)の宇佐八幡宮より御分霊を勧請奉斎、御旗山八幡宮とも称され、荏原郡池上村大字徳持の住民の守護神として尊崇せられ、元徳持の南地区(本村)に鎮座、(現池上七丁目曹禅寺付近)

明治39年(1906)池上競馬場(当時日本一の規模といわれた〉設置のため現在地(旧大字德持809番地)(当時境内510坪)に移転、

明治41年5月再建、同年9月15日徳持上宿に鎮座の稲荷神社を合祀、竣功遷座と執行、社名八幡神社を徳持神社と改称する。

 

 その他のコース・山行記録


 八幡大神(やはたのかみ・はちまんおかみ)誉田別命、品陀別命(ほんだわけのみこと)

日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から弓矢八幡として崇敬を集めました。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされます。

また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)として神宮寺が祀られました。

 

 宇迦御魂命・宇迦之御魂神・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

古事記、日本書記に登場する神です。須佐之男命と神大市比売の子です。農耕の神、商工業の神、商売繁盛の神としても信仰されていて全国の稲荷神社で祀られています。

 

 八幡大神(やはたのかみ・はちまんおかみ)誉田別命、品陀別命(ほんだわけのみこと)

日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から弓矢八幡として崇敬を集めました。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされます。

また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)として神宮寺が祀られました。

 

 応神天皇(おうじんてんのう)譽田別尊(ほんだわけのみこと)八幡大神(やはたおおかみ)

第15代天皇(在位:270年1月1日~310年2月15日 )仲哀天皇の第4皇子、母は神功皇后。神功皇后が新羅へ渡ったときに身篭っていたことから胎中天皇などと呼ばれています。記紀には渡来人を用いて国家を発展させ、中世以降は軍神八幡神としても信奉されでいます。

大和朝廷の勢力が飛躍的に発展した時期で一説に中国の歴史書に記述のある倭の五王の一人、讃とする説があります。陵墓は大阪府羽曳野市誉田6丁目の恵我藻伏崗陵。

6世紀前半に在位したとされる第26代継体天皇以前の天皇については、第21代雄略天皇を別として実在の可能性が薄いという見解があります。

 

 神仏習合(しんぶつしゅうごう)神仏混淆(しんぶつこんこう)

日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(ほんじすいじやく)説が流行し、中世になって両部神道などが成立した。

 

 八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)

八幡神に対して奉られた菩薩号。奈良時代に始る神仏習合から起った称号

 

 素戔嗚尊・須佐之男命(すさのうのみこと)

日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。

高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。

 

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