遠野郷八幡宮 


 寺社の種類:旧郷社
 創建の時期:文治5年(1189年)
 主祭神:誉田別尊
 社殿の様式:-
 所在地:岩手県遠野市松崎町白岩23地割
 訪問日:2015年4月30日

 

平泉藤原氏の追討により源頼朝から遠野郷を賜った阿曽沼広綱が宇夫方広房を代官として送り、松崎村駒林に館を築き、氏神である八幡神をまつり遠野郷を統治したのが始まりと言います。

遠野郷八幡宮の社務所
参道の入り口
鳥居の先に杉林の参道
杉木立の参道
参道には鯉のぼり
石段の上に燈籠

その後、阿曽沼広綱が横田城を築き鬼門ある宮代に八幡宮を勧請して崇敬しました。

狛犬
狛犬
八幡宮の神額
朱塗りの拝殿
八幡宮の神額
八幡宮の五柱の神

遠野郷の総鎮守とし9月の例祭には鹿子踊りや流鏑馬などが祭りを盛り上げると言います。

守護神社の社
神輿蔵
蔵の中にお神輿
稲荷社
山の神社
天満宮

境内にはたくさんの摂社のほか古い石碑があります。大きな石碑は馬魂碑、現地の案内板によると遠野は古くから馬の生産地で南部駒として軍馬や農耕馬を陸軍省や農林省に納めていたと言います。

甲子社
酉不動神社
古峰山の石碑
四戸三平光生記念碑
境内の石碑
馬魂碑
鳥獣惣霊碑?
山奈宗真翁碑

 

関連記録・コース

 八幡大神(やはたのかみ・はちまんおかみ)誉田別命、品陀別命(ほんだわけのみこと)

日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から弓矢八幡として崇敬を集めました。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされます。

また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)として神宮寺が祀られました。

 

 源頼朝(みなもとよりとも)

1147~1199年 鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱のち伊豆蛭ヶ小島に配流される。1180年以仁王もちひとおうの平氏追討の令旨に応じ挙兵。石橋山の戦いに敗れ安房に逃げたが東国武士の来援を得て関東を制し鎌倉にはいって根拠地とした。平維盛の追討軍を富士川に破り弟の範頼・義経を西上させ、85年壇ノ浦で平氏を討滅し全国を平定。全国に守護・地頭を設置、武家政治の基礎を確立。

 

 八幡大神(やはたのかみ・はちまんおかみ)誉田別命、品陀別命(ほんだわけのみこと)

日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から弓矢八幡として崇敬を集めました。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされます。

また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)として神宮寺が祀られました。

 

 応神天皇(おうじんてんのう)譽田別尊(ほんだわけのみこと)八幡大神(やはたおおかみ)

第15代天皇(在位:270年1月1日~310年2月15日 )仲哀天皇の第4皇子、母は神功皇后。神功皇后が新羅へ渡ったときに身篭っていたことから胎中天皇などと呼ばれています。記紀には渡来人を用いて国家を発展させ、中世以降は軍神八幡神としても信奉されでいます。

大和朝廷の勢力が飛躍的に発展した時期で一説に中国の歴史書に記述のある倭の五王の一人、讃とする説があります。陵墓は大阪府羽曳野市誉田6丁目の恵我藻伏崗陵。

6世紀前半に在位したとされる第26代継体天皇以前の天皇については、第21代雄略天皇を別として実在の可能性が薄いという見解があります。

 

 神仏習合(しんぶつしゅうごう)神仏混淆(しんぶつこんこう)

日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(ほんじすいじやく)説が流行し、中世になって両部神道などが成立した。

 

 八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)

八幡神に対して奉られた菩薩号。奈良時代に始る神仏習合から起った称号

 

 平治の乱(へいじのらん)

保元の乱(ほげんのらん)の後、平治1年(1159年)12月、京都に勃発した内乱。後白河上皇の近臣間の暗闘が源平武士団の対立に結びつき、藤原信頼・源義朝による上皇幽閉、藤原通憲(信西)殺害という事件に発展した。しかし平清盛の計略によって上皇は脱出し、激しい合戦のすえ源氏方は敗北した。これ以後、平氏の政権が成立した。

 

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