今戸神社(今戸八幡) 


 寺社の種類:旧村社
 創建の時期:康平6年(1063年)
 札所:浅草名所七福神、下町八福神
 本殿の形式:一間社流造
 境内社:
 所在地:東京都台東区今戸1丁目5ー22
 訪問日:2025年6月6日

 

東京都台東区今戸にある神社です。

『康平6年(1063年)で、源頼義・義家親子が奥州討伐の際に、京都の石清水八幡宮を勧請したのが始まりです。その後、昭和12年に白山神社を合祀し、現在の「今戸神社」となりました。

また、今戸神社は招き猫発祥の地の一つともされており、境内には「なで猫」の石碑があり、優しく撫でると福を招くといわれています。』(copilot.2025/6)

今戸神社の鳥居
今戸神社の鳥居と玉垣
お神輿の蔵出し
縁結びの奉納のぼりと拝殿
今戸神社の拝殿
精緻な彫刻が施された拝殿
覆い堂に千社札
拝殿に大きな招き猫
境内の狛犬は篭の中

今戸神社は新選組の沖田総司の終焉の地であるとされています。当時結核を患っていた沖田総司を診ていた松本良順が、今戸神社を仮の住まいとしていたことからきています。沖田総司は千駄ヶ谷の植木屋の柴田平五郎宅の納屋に匿われ、同地で死亡したとの説もあります。

 

《 今戸神社》 現地案内板

当社は元今戸八幡宮と称し、後冷泉天皇の時代康平六年(一〇六三)源頼義、義家父子は勅命に依り奥州の夷賊安太夫安倍貞任、宗任を討伐の折今戸の地に到り、京都の石清水八幡を鎌倉鶴ヶ岡と浅草今津村(現今戸)に勧請ました。

應神天皇の母君神功皇后は新羅を始め三韓親征の際、時恰も天皇を宿されその帰路天皇を九州筑紫で誕生されました。

従って應神天皇を別名胎中天皇・聖母天皇とも称し、安産子育ての神と崇敬されております。

伊弊諾尊・伊弉冉尊御夫婦の神は加賀の白山比咩神社の御祭神にして、嘉吉元年(一四四一)千葉介胤直が自分の城内に勧請しました。

諾冉二神は子孫の繁栄を与えられると共に縁結びの神と崇敬されております。

昭和十二年今戸八幡と合祀され今戸神社と改称され今戸の地名は古くは武州豊島郡今津村と称し、その後今戸(別字今都)となりました。

 

関連記録・コース

 応神天皇(おうじんてんのう)譽田別尊(ほんだわけのみこと)八幡大神(やはたおおかみ)

第15代天皇(在位:270年1月1日~310年2月15日 )仲哀天皇の第4皇子、母は神功皇后。神功皇后が新羅へ渡ったときに身篭っていたことから胎中天皇などと呼ばれています。記紀には渡来人を用いて国家を発展させ、中世以降は軍神八幡神としても信奉されでいます。

大和朝廷の勢力が飛躍的に発展した時期で一説に中国の歴史書に記述のある倭の五王の一人、讃とする説があります。陵墓は大阪府羽曳野市誉田6丁目の恵我藻伏崗陵。

6世紀前半に在位したとされる第26代継体天皇以前の天皇については、第21代雄略天皇を別として実在の可能性が薄いという見解があります。

 

 伊弉諾尊・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。

黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。

 

 伊弉冉尊・伊邪那美命(いざなみのみこと)

古事記に登場する神で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となりました。

 

 福禄寿(ふくろくじゅ)

七福神の一神。福禄を授ける神。短身・長頭で経巻を結びつけた杖を持ち鶴を従える。中国の仙人に由来するといわれる。

 

 神功皇后(じんぐうこうごう)氣長足姫尊・息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)

仲哀天皇の皇后、父は開化天皇の曾孫、母は新羅から但馬に来住したという天之日矛(あめのひぼこ)の玄孫たかぬかひめ。

三韓征伐の中心人物で仲哀天皇が熊襲を討つため九州に赴き筑紫の橿日宮で急死すると、妊娠中にもかかわらず武内宿禰とはかり新羅に遠征したとされています。

この遠征により百済と高句麗も日本に帰服ししました。皇后は大和に戻ってから応神天皇を皇太子に立てて約 70年間皇太子の摂政としてみずから政治をとったと言われています。

 

 継体天皇(けいたいてんのう)・男大迹尊(おおどのみこと)

第26代天皇(在位:507年2月4日~531年2月7日)武烈天皇没後嗣子がなく、大伴金村・物部麁鹿火(あらかび)らに越前から迎えられて河内で即位したと伝えられる。 このころ朝鮮半島における日本の勢力は衰え、筑紫では磐井(いわい)の乱が起こった。また仏教も渡来人によって伝えられ普及し始めた。陵墓は大阪府茨木市太田3丁目の三嶋藍野陵。

 

 雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)・大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけのみこと)

第21代天皇(在位:456年11月13日~479年8月7日)允恭天皇(いんぎようてんのう)第五皇子。宋書に見える倭王武とされる。雄略天皇の登場により大王による専制支配が確立され、大王を中心とする中央集権体制が始まったとする見方がある。考古学的に実在がほぼ確定している最初の天皇とされる。陵墓は大阪府羽曳野市島泉8丁目の丹比高鷲原陵。

 

 伊弉冉尊・伊邪那美命(いざなみのみこと)

古事記に登場する神で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となりました。

 

 伊弉諾尊・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。

黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。

 

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