銀杏岡八幡神社 


 寺社の種類:旧村社
 創建の時期:康平5年(1062年)
 主祭神:誉田別命、相殿:武内宿祢命
 本殿の形式:ー
 境内社:此葉稲荷神社
 所在地:東京都台東区浅草橋1丁目29ー11
 訪問日:2025年6月6日

 

東京都台東区浅草橋にある銀杏岡八幡神社は

『康平5年(1062年)に創建され、源義家が戦勝祈願をしたことが起源とされています。

義家が戦いの前に銀杏の枝を丘の上に立てて祈願し、戦勝後に訪れた際、その枝が大きく繁茂していたことから「銀杏岡」と名付けられたと言われています。』(copilot.2025/6)

銀杏岡八幡神社の石鳥居
銀杏岡八幡神社の石鳥居と境内
子守唄と銀杏岡八幡神社の案内板
銀杏が植えられた境内
赤い鳥居の此葉稲荷神社
御手水場
銀杏岡八幡神社の拝殿
拝殿
坪錫と神額
銀杏岡八幡神社の由緒書き

かつての大銀杏は台風で折れその後の火災で焼失しましたが、境内には新しい銀杏が大きく育っていました。

 関連記録・コース


 八幡大神(やはたのかみ・はちまんおかみ)誉田別命、品陀別命(ほんだわけのみこと)

日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から弓矢八幡として崇敬を集めました。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされます。

また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)として神宮寺が祀られました。

 

 八幡大神(やはたのかみ・はちまんおかみ)誉田別命、品陀別命(ほんだわけのみこと)

日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から弓矢八幡として崇敬を集めました。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされます。

また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)として神宮寺が祀られました。

 

 応神天皇(おうじんてんのう)譽田別尊(ほんだわけのみこと)八幡大神(やはたおおかみ)

第15代天皇(在位:270年1月1日~310年2月15日 )仲哀天皇の第4皇子、母は神功皇后。神功皇后が新羅へ渡ったときに身篭っていたことから胎中天皇などと呼ばれています。記紀には渡来人を用いて国家を発展させ、中世以降は軍神八幡神としても信奉されでいます。

大和朝廷の勢力が飛躍的に発展した時期で一説に中国の歴史書に記述のある倭の五王の一人、讃とする説があります。陵墓は大阪府羽曳野市誉田6丁目の恵我藻伏崗陵。

6世紀前半に在位したとされる第26代継体天皇以前の天皇については、第21代雄略天皇を別として実在の可能性が薄いという見解があります。

 

 神仏習合(しんぶつしゅうごう)神仏混淆(しんぶつこんこう)

日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(ほんじすいじやく)説が流行し、中世になって両部神道などが成立した。

 

 八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)

八幡神に対して奉られた菩薩号。奈良時代に始る神仏習合から起った称号

 

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