下山八幡宮 
寺社の種類:旧村社
創建の時期:長久2年(1041年)
主祭神:誉田別天皇、相殿:大鷦鷯天皇、広国押武金日天皇、美都波売命
本殿の形式:三間社流造
所在地:東京都青梅市梅郷6丁目1220
訪問日:2022年9月21日
かつて下山と呼ばれた梅郷の鎮守と言います。本殿は都内でも数少ない三間社流造で市有形文化財に指定されています。
本殿は、こけら葺型銅板葺、一部弁柄漆塗りで、都内でも数少ない三間社流造りの構造形式を維持している。
当社の創建は長久二年(一〇四一) と伝えられ、誉田別天皇他四神を御祭神として祀っている。また、弘安四年 (一二八一)の銘をもつ木彫神鳩が社宝として伝わっており、天正十九年(一五九一)に家康より社領五石を賜っている。
旧本殿は、寛保二年(一七四二)二月の大風により破壊されたため、宝暦五年(一七五五)八月、立川村(現立川市)の大工棟梁中嶋七兵衛清重らによって再建されたのが現本殿であり、宝暦五年の棟札と寄進覚の板札二枚が現在も残されている。
昭和五十九年一月六日指定
青梅市教育委員会 令和三年一月建替
関連記録・コース日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から弓矢八幡として崇敬を集めました。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされます。
また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)として神宮寺が祀られました。
日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から弓矢八幡として崇敬を集めました。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされます。
また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)として神宮寺が祀られました。
第15代天皇(在位:270年1月1日~310年2月15日 )仲哀天皇の第4皇子、母は神功皇后。神功皇后が新羅へ渡ったときに身篭っていたことから胎中天皇などと呼ばれています。記紀には渡来人を用いて国家を発展させ、中世以降は軍神八幡神としても信奉されでいます。
大和朝廷の勢力が飛躍的に発展した時期で一説に中国の歴史書に記述のある倭の五王の一人、讃とする説があります。陵墓は大阪府羽曳野市誉田6丁目の恵我藻伏崗陵。
6世紀前半に在位したとされる第26代継体天皇以前の天皇については、第21代雄略天皇を別として実在の可能性が薄いという見解があります。
日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(ほんじすいじやく)説が流行し、中世になって両部神道などが成立した。