東京駅10:00~常盤橋公園・常盤橋門跡10:20~神田駅10:30~柳森神社10:45~秋葉原駅10:55~講武稲荷神社11:00~御徒町駅11:27~アメ横商店街・摩利支天徳大寺11:30~喜乃字屋11:50/12:05~上野駅12:10~彰義隊の墓・清水観音堂12:20~不忍池辯天堂12:30~上野恩賜公園摺鉢山古墳・五條天神社12:40~上野大仏12:50~東照宮12:55~東叡山寛永寺開山堂(両大師)13:15~鶯谷駅13:28~元三島神社13:37~上根岸公園13:45/50~子規庵14:02~関妙山善性寺・隼人稲荷神社14:17~日暮里駅14:25
東京の中心を走る山手線、一周34.5kmのなかには最近開業した高輪ゲートウェイ駅を含め30の駅があります。今回は東京駅を起点とし内回りに山手線沿線をめぐる街歩くに出かけることにしました。
また山のない都心と言いながら、山手線には紅葉山20m(東京タワー)、大仏山22m(上野公園)、愛宕山25.7m(新橋駅)、千駄ヶ谷富士6m(千駄ヶ谷駅)、摺鉢山24m(上野公園駅)、箱根山44.6m(高田馬場駅)、三笠山9m(日比谷公園駅)の7つの山があります。
その頂にも足跡を残せれば思いながら歩き始めることにしました。
たくさんの人が行きかう東京駅、赤レンガの駅舎が改修されて12年、八重洲口に下りたのはそれ以来ということです。
駅の周辺ではTorchTower(トーチタワー)などいくつかの再開発工事が行われているようで、クレーンのアームがフェンスの中から頭を出していました。1万円札のデザインとなった渋沢栄一の銅像の近くには常盤橋御門、江戸城の大手門につながる軍事上の重要な門の一つと言います。
高速の高架に下を流れる川は日本橋川、高速道路の老朽化などにより2035年までに江戸橋JCTから神田橋JCT間の地下化が行われると言います。10年後には橋の上に青空が広がるのでしょう。
神田駅から細い小路を進むと柳森神社です。神田川の堤防沿いに祀られた神社の境内には富士講の石碑や力石、狸の像が祀られていました。
秋葉原はラジオ店街など、パソコンの機材などでお馴染みの町、またゲームおたくの町として外国のお客さんにもお馴染みの町です。
ビルの谷間の中には講武稲荷神社がありました。現地案内板によるとかつての旅駕籠町会の稲荷神社であったことや関東大震災の歴史が書かれていました。
御徒町の駅を過ぎるとアメ横です。狭い商店街は外国の観光客で賑わっています。東南アジア、中国などのお客さんが多いのか狭い店先で丼やイカの揚げ物などが売られていました。
アメ横の途中には摩利支天徳大寺です。石段を登ると正月飾りの本堂、おみくじやお守りの授与所もありました。
昼食は上野駅近くのさくらテラスの喜乃字屋、舞茸天のせいろは新そばのようでまずまずの美味でした。
上野公園は清水観音堂や不忍池辨天堂、上野東照宮の牡丹園では寒牡丹の花が見ごろと言います。
お花見などで何度か訪れた上野公園にも五條天神社は初めて訪れたところ、境内の花園稲荷神社とともに参拝客も多いところです。
摺鉢山は上野駅の中の小さなコブ、かつての上の公園には桜雲台古墳、蛇塚古墳など多くの古墳があったようですが現在は摺鉢山を残すのみと言います。5世紀後半に築造された前方後円墳とされ、弥生式土器や埴輪の破片が出土しているようです。
大仏山はかつて上野大佛があったところ、関東大震災で頭部が落下、第2次大戦中には金属供出により胴体も失われました。現在はパゴタの傍に大きな顔が残っているだけでした。
東照宮からは国立西洋美術館の前を通り寛永寺開山堂に向かいます。国立西洋美術館はたくさんの入館客行列、広場のブロンズ像は有名な「考える人」、ロダンの地獄門の中央にある像が拡大鋳造されたものと言います。
道の途中からはビルの谷間から大きなスカイツリーを望むことができます。ここからスカイツリーまでは直線で3km、634mの尖塔もかなり大きく見えるものです。
寛永寺開山堂は慈眼大師天海大僧正、慈恵大師良源大僧正を祀るお寺です。慈眼大師は江戸時代の僧で、比叡山の復興に貢献し日光東照宮や輪王寺を整備しました。慈恵大師は元三大師とも呼ばれ比叡山の復興、教学の振興などされました。
すぐれた霊力を持っていたことから厄除け大師、角大師(つのだいし)とも呼ばれています。境内には厄除け角大師の奉納旗が立っていました。
鶯谷の駅を過ぎると根岸です。かつての花街であったところとか、細い路地にはラブホテルが点在しています。
元三沢神社は下谷七福神の寿老神を祀る神社です。境内には冬には珍しい花手水がありました。
狭い道を進むと子規庵、明治の俳人正岡子規が亡くなるまでを過ごしたところと言います。近くには書道博物館があり、多くの文人が住んでいたのでしょう。
善性寺は日蓮宗のお寺、境内には不二大黒天が祀られています。ここは徳川将軍家ゆかりのお寺と言います。
善性寺の傍には隼人稲荷神社の小さな社がありました。その向かいにはきめ細やかな焼き団子で数々の文化人を魅了したという羽二重団子のお店がありました。
今回の街歩きの終点が日暮里駅です。広いロータリーには太田道灌の銅像が立っています。日暮里駅の西側は谷中霊園など墓地やお寺が点在するところです。かつては道灌山と呼ばれ太田道灌の出城があったと伝えられていると言います。
山手線の沿線をたどる街歩き、暑い時期には難しいでしょうが交通機関の便は良いこともあり歴史に匂いを嗅ぎながら歩く気軽な街歩きができそうなところのようです。