五條天神社 


 寺社の種類:旧村社
 創建の時期:景行天皇朝(伝・約西暦110年)
 本殿の形式:一
 境内社:花園神社
 所在地:東京都台東区上野公園4ー17
 訪問日:2025年1月8日

 

日本武尊が東征のおりに上野山内天神山(摺鉢山)に創建したといいます。寛永18年に菅原道真公を合祀、寛永寺創建により、神職瀬川邸に殿座、昭和3年旧地へ環座したといいます。東都七福神の一つです。

五條天神社の鳥居
御手水場
初詣客も訪れる拝殿
五條天神社の拝殿
境内の由緒書

大己貴命、少彦名命は薬祖神として知られています。国土経営に尽力され、薬の術や医道、酒造諸々を教えたと古事記や日本書紀、風土記などに述べられています。

 

《五條天神社縁起》 現地の案内板

第12代景行天皇の御代、日本武尊が御東征の際、上野の忍岡で薬祖神二柱の大神が奇端を現し給い難を救われたので、ここに両神をお祀りしたと伝えられ、平成22年5月御鎮座1900年大祭が行われる。東都屈指の古社であり ます。

江戸初期、社地は神職の瀬川屋数(上野公園下・旧五條町)に遷り、御創祀の地に近い現地に昭和3年9月ご遷座になりました。

 

関連記録・コース

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 少彦名命(すくなびこなのみこと)

古事記では神産巣日(かんむすひ)神の、日本書紀では高皇産霊(たかみむすひ)尊の子です。大国主神の国土経営に協力したが伯耆国淡島で粟茎(あわがら)に弾かれて常世(とこよ)国に行ったとされています。

 

 菅原道真(すがわらのみちざね)

平安前期の公卿、学者、文人。845~903年。宇多天皇の信任が厚く、藤原氏を押さえるため藤原基経の死後蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢されましたた。延喜元年(901年)藤原時平の中傷により大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され配所で没しました。

のちに天満天神として崇拝されました。

 

 素戔嗚尊・須佐之男命(すさのうのみこと)

日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。

高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。

 

 天照大神、天照大御神(あまてらすおおかみ)大日女尊(おおひるめのみこと)・大日霊貴神(おおひるめのむちのかみ)

日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。

 

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

TAG:天満宮
 訪問者数 今月:9件
 Back