東京都台東区上野公園にある神社で、徳川家康(東照大権現)・徳川吉宗・徳川慶喜を祀ります。その豪華さや由来から三大東照宮の一つに数えられることが多い。
諸大名から奉納された石灯籠が建ち並ぶ参道は春には桜が咲くところです。たくさんの観光客が参拝に訪れてれていました。
《東照宮略記》 現地の案内板
元和2年2月見舞いのため駿府城にいた藤堂高虎と天海僧正危篤の家康公の病床に招かれ三人一処に末永く魂鎮まるところを造して欲しいと遺言された。
そこで高虎の家敷地であるこの上野の山に寛水4年(1627年)に本宮を造営した。その後将軍家光はこの建物に満足出来ず、慶安4年現在の社殿を造営替えし、江戸の象徴とした。
1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成を関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。
1837~1913年、江戸幕府15代将軍。水戸藩主徳川斉昭の七男。十三代将軍家定の継嗣問題で家茂と争い敗れるが、将軍後見役となり幕権の維持・公武合体政策を進める。家茂歿後、将軍となり幕政改革を行なう。慶応3年(1867)大政奉還し翌年江戸城を明け渡した。
1534~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。織田信秀の子。桶狭間に今川義元を討って尾張一国を統一。京都に上って比叡山を焼き、浅井氏・朝倉氏を破り、将軍足利義昭(あしかがよしあき)を追放、武田勝頼を三河の長篠に破った。中国出陣の途中、京都本能寺で明智光秀の謀反にあった。
1536~1598年、安土桃山時代の武将。織田信長に仕え戦功をたて羽柴秀吉と名のった。信長の死後、明智光秀・柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一した。
天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり豊臣を賜姓。検地・刀狩りなどを行い兵農分離を促進した。明国征服を志して朝鮮に出兵したが戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。
1560~1600年、安土桃山時代の武将。豊臣秀吉に重用され、五奉行の一人として太閤検地などに活躍。秀吉の死後、遺子秀頼を擁ようして徳川家康と対立、関ヶ原の戦いに敗れ京で斬首された。
慶長5年(1600年)関ヶ原で石田三成らの西軍と徳川家康らの東軍とが天下を争った戦い。小早川秀秋の寝返りにより東軍が大勝した。石田三成らは処刑され豊臣秀頼は60万石の大名に転落した。これにより徳川氏の覇権が確立した。