徳大寺(下谷摩利支天・摩利支天徳大寺) 


 寺社の種類:日蓮宗
 山号:妙宣山
 創建の時期:江戸時代前期、開基:日遣
 本尊:大曼荼羅
 札所:ー
 所在地:東京都台東区上野4丁目6ー2
 訪問日:2025年1月8日

 

摩利支天徳大寺は上野のアメ屋通りから僅かに入ったところにあるお寺です。正月飾りがまだ取れない朱色の本殿には海外からやってきた観光客なども含めたくさんの参拝客でにぎわっていました。

徳大寺の山門
石橋稲荷神社
縁結び地蔵尊
徳大寺の本堂
本堂
おみくじ授与所
徳大寺縁起
力の亥

Copilotによると摩利支天徳大寺は江戸時代初期に慈光院日遣上人によって創建されました。摩利支天は仏教の守護神であり、特に「気力・体力・財力」を与え、「厄を除き、福を招き、運を開く」とされています。

聖徳太子の御作と伝わる摩利支天像を祀っており、江戸時代から多くの信仰を集めています。

 

《摩利支天德大寺縁起》 現地の由緒書き

当山(徳大寺)は、江戸時代初めの寛永年間に慈光院日道上人によって創建され、正式には日蓮宗・妙宣山徳大寺と申します。仏教の守護神である開運大摩利支尊天を奉安することから摩利支天徳大寺とも称し、下谷広小路(現在の上野広小路)に位置したことから下谷摩利支天とも呼ばれてまいりました。

そもそも摩利支天とは、「威光」あるいは「陽炎」と訳され、常に日天に先んじて進み、大自在神通の力を以て昼夜の別なく光を放ち、参詣祈願の面々に「気力・体力・財力」を与え、「厄を除き、福を招き、運を開く」、福寿吉祥開運勝利を誓い給いし、諸天善神中最も霊験顕著なる守護神といわれ、我が国では古来より武士階級からの篤い崇敬を受けてきました。

寺宝として奉安する摩利支天像は、江戸時代中期の京都にて霊夢感得された御尊像と伝わり、宝永5年(西暦1708)に当山に安置されました。以来、聖徳太子の御作と伝わる御尊像に開運吉祥の利益を授かろうと、全国よりの絶えざる善男善女の参詣により山門は俄然活況を呈し、いつしかその門前通りは下谷広小路の摩利支天横丁と呼ばれるようになりました。

その後、大正12年の関東大震災、昭和20年の戦災による火災類焼によって、堂宇は二度にわたり灰燼に帰しましたが、奉安の御尊像は幸いにもその都度焼失を免れてまいりました。

そして終戦後の混乱期、闇市の形成などによる街並みの変化に伴い、移転再建が検討されながらも創建以来の此の地に留まり、昭和39年11月、堂宇再建の悲願が結実され全伽藍の復興果たし、今日の姿に至っております。

本堂正面に掲げられる遍額「威光殿」は、威光の化身たる大摩利支尊天の拝殿の意として、吉田茂総理大臣の揮毫により寄贈されたものであります。寛永の時代より凡そ400年、寺社町として栄えた上野広小路に残る最後の寺院として今日も大摩利支尊天をお祀りし、有縁の清衆の現世安穏、後生善処の浄願を御記念いたしております。

 日蓮宗(にちれんしゅう)

仏教の一宗派。鎌倉時代に日蓮が開いた。法華経を所依(しょえ)とし南無妙法蓮華経の題目を唱える実践を重んじ、折伏(しゃくぶく)・摂受(しょうじゅ)の二門を立て、現実における仏国土建設をめざす。

 

 日蓮(にちれん)・立正大師

鎌倉時代の僧。日蓮宗の開祖。安房小湊の漁師の子という。17歳ころから鎌倉・比叡山などで11年間修行研鑽し、法華経こそ至高の経典であるとの確信を得、1253年故郷の清澄山頂で題目を高唱して開宗した。

 

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