江戸城枡形門の一つで、寛永6年(1629年)に築かれました。古くは浅草口・大手口とも呼ばれ、奥州街道に通じる重要な場所でした。
田安門(上州口)、神田橋門(芝崎口)、半蔵門(甲州口)、外桜田門(小田原口)と共に江戸五口に数えられました。江戸城外郭の正門なので大手口ともよばれていたともいわれています。
近くには1万円札にも描かれた渋沢栄一像が建っています。
《常盤橋門》千代田区の案内板
常盤橋門は、1629年(寛永6年)に出羽・陸奥の大名によって築造されました。門は、江戸城諸門の中でも奥州道中につながる江戸五口の一つで、浅草口、追手(大手)口とも呼ばれました。江戸城内部の正門である大手門に接続することから、軍事上重要な門に位置付けられました。
門の構造は、内枡形門形式の枡形門で、北側に渡橋とそれを支える石垣があり、門をくぐった先には大番所が配置されました。また、東側には冠木門が構えられており、それ以外の三方は土手が巡らされていました。
明治以降、常盤橋門の建物は破却されました。残った枡形石強の一部と1877年(明治10年)に架けられた常磐橋(石橋)、橋の石検部分は1928年(昭和3年)に国の史跡に指定されています。