笠取山の登山口までは何度か車を走らせたことはありましたが、甲府側からでも奥多摩側からでも一般道を走る距離が長いこともあって、登山口にたどり着いた時はすでに11時過ぎ。そのためもあってこの山はまだその山頂を踏めずにいる山の一つです。
またこの山は東京都の水源地ふれあいのみち・源流のみちに指定されているところです。東京都の水源の一つ多摩川は、この山の山腹の水干から流れ出ていると言います。
作場平橋近くの駐車場に車を停め、多摩川の源流となる本谷に沿って緩やかに登り始めます。唐松林の中をたどる遊歩道には水源に関する案内板が建っています。森林の生い立ちや地下水と森林の関連などを説明した案内板は小学生の理科の勉強と言ったところ。しばらくなだらかな遊歩道を登っていくと一休み坂への分岐点にたどり着きました。
ここからは左手の沢道をたどりヤブ沢峠へ。沢には湧き水が流れているところもあり、小さな沢を木道で渡るところもあります。目を凝らすと、泥の中には鹿の足跡が幾つか。先ほど林道の入り口で鹿を見かけましたが、この山域も日光や丹沢と同じように、たくさんの鹿が繁殖しているようです。
登山道を緩やかに登っていくとヤブ沢峠です。この道は車の通っている林道のようで、かすかに轍の後が残っていました。しばらく登った小さな広場には笠取小屋や東京都水道局の作業小屋が建っています。目の前には大きな大菩薩嶺が霞んでいました。
笠取小屋からは笠取山を目指すことにします。左手には明るい草原が広がっています。花の時期にはレンゲツツジが咲くという草原も今はわずかにマルバタケブキが黄色い花を付けているだけ。レンゲツツジもその数はあまり多くないようです。やがて雁峠山荘への道を左に分けると目の前に小さな分水嶺がありました。分水嶺の西側に流れる水は笛吹き川を経て富士川に、北側に流れる水は秩父湖を経て荒川へ、南側に流れる水は多摩川に注ぐと言います。
ここから明るい尾根を進むと笠取山への急坂が待っていました。真っ直ぐ登って行く急な坂はなかなか辛い登りです。最後は固定ロープが欲しいくらいの岩場を登ると目指す笠取山の山頂です。山梨百名山の標柱が建つ山頂は20名も座ればいっぱいになりそうな狭いところ。ここからは奥秩父の最深部の山々を一望することが出来ます。目の前の頂は古札山と水晶山。水晶山の奥に見える小さな頂は昨日登った甲武信ヶ岳。その左手に連なる大きな山並みは国師ヶ岳と北奥千丈岳。さらにその左手には乾徳山や小楢山も見えています。
笠取山で昼食の後、水干に向かうこととします。シャクナゲに覆われた痩せ尾根は、露岩が積み重なり、あまり歩きやすいところでありません。しばらく進むと、登山道は右の斜面を下って行きます。シラカバ林の中で道は二手に分かれました。左手に向かう道は将監峠を通り飛竜山、雲取山へと向かう奥秩父主脈縦走路の道。ここからは道を右に取り笠取山の山頂を巻くように水干に向かうことにします。
しばらく進むと小さな祠が祀られた水干です。ここは多摩川の最初の一滴が作られるところとか。この時期は水滴も滴り落ちてはいないようですが、ここで生まれた水が138キロメートルの長い旅の後、東京湾へ注ぐと言います。
水干からは山腹を巻くようにして笠取小屋を目指すことにします。登山道のシラビソの幹は鹿により剥ぎ取られた木が目立っています。植林された若木には金網やネットを被せたものも多くあります。ここ奥秩父も丹沢や日光と同じように鹿による食害に悩まされているようです。途中に建っている掲示板によると、草木を食い荒らす鹿も草原に目立つマルバタケブキは食べないとか。レンゲツツジやスズランなどもそうですが、野生の動物も毒のある草花は本能的に判っているようです。
しばらくすると空から大粒の雨が落ちてきました。幸い笠取小屋は目の前。小屋の軒先でしばし雨宿りすることにしました。
霞んでいた大菩薩嶺の姿がくっきりと見えるようになると雨も上がり、セミの声があたりに鳴り響いてきます。笠取小屋からは一休坂を経て作場平橋に下ることにしました。
しばらく下ったところが笠取小屋直下の水場です。ここからは沢沿いの道を一休坂へと下って行きます。道端のリョウブの幹も裸になった木が多いようです。これも多くなったという鹿の仕業。奥多摩や丹沢で頻繁に鹿に出会うようになったのはこの数年、確かにこの山域での鹿の数は多くなっているのが実感です。しばらく坂道を下っていくと一休坂の分岐です。ここから作場平橋までは唐松林の中を緩やかに下っていくだけです。