奥秩父の最深部に位置する甲武信ヶ岳は深田久弥氏の日本百名山の一つに数えられる山です。その著書、日本百名山にも「山頂に降った一滴は、千曲川に落ちて信濃川となり日本海に入る。他の一滴は荒川に落ちて大東京を貫流して東京湾に注ぐ。更に次の一滴は笛吹川に落ちて富士川となり太平洋のものとなる。」と紹介されているように、甲州、武州、信州の国境に位置する分水嶺の山です。
登山道は甲府側の西沢から甲武信ヶ岳を目指す最短ルートや、西沢から雁坂嶺や破風山をたどり山頂を目指すルートなどが良く登られているようです。今回登ったコースは毛木平から千曲川源流水源地へ。ここから甲武信ヶ岳山頂に登り、三宝山、武信白石山などの稜線をたどり十文字峠をまわって、毛木平に戻る長い縦走コースです。
駐車場の案内板によると、毛木平から西沢を経由して山頂までは3時間50分。山頂から三宝山、武信白岩山、十文字峠を越え毛木平に戻るにはさらに4時間の行程。逆コースでは十文字峠から甲武信ヶ岳への登りに5時間の時間が必要とか。歩行時間が8時間となる山行は久しぶりです。
唐松林の中の林道は、ほどなく十文字峠へ向かう道を左に分け緩やかに登って行きます。しばらく林道を進むと大きな岩が道の上に落ちていました。ここからは道も山道らしくなり、傾斜も幾分きつくなってきます。左手には西沢の清流が白い飛沫を上げていました。登山道は沢から離れたり沢に降りたりしながら徐々に高度を上げていきます。この登山道は千曲川源流遊歩道と言われる道で、小さな流れには丸木橋がかけられたり、木の階段が付けられているところもあります。
しばらく登ったところが滑滝。滑らかな白い岩の上を滑るように水が落ちています。すでに1,900メートルを越えた登山道は、唐松林からコメツガの林の中を登って行くようになります。小さな沢を幾つか跨いでいくと登山道は右岸に渡りました。細くなり始めた沢を幾度か渡り返しながら沢を詰めて行きます。ミズゴケに覆われた倒木や岩が源流の雰囲気を感じさせてくれます。
しばらく登っていくと暗いコメツガの林の中に千曲川・信濃川水源地標の標識が立っていました。ここを源とする千曲川は武田信玄と上杉謙信の合戦で有名な川中島で犀川と合流した後、信濃川となって日本海に注ぐ日本最大の川です。総延長367kmの大河。その最初の一滴がここから生まれているようです。
ここからはコメツガの林の中を登る急坂が始まります。急な斜面をジグザグに登る道に汗を流すことおよそ20分。たどり着いた稜線は奥秩父主脈縦走路が通るところです。右手に向かう道は北奥千丈岳、国師ヶ岳、金峰山、瑞牆山へと続く道です。ここで道を左に折れ、シャクナゲが密生した尾根道を登って行きます。すでに花の時期は終わりに近づいていましたが、それでも枝先にはシャクナゲの白い花が幾つか残っていました。
しばらく稜線を登るとこのコース最大と言う急坂です。木の根につかまりながら坂道を登って行くと視界が開け、山頂直下の岩屑の尾根を登るようになります。最後の急登に息を切らせると、明るく開けた甲武信ヶ岳の山頂にたどり着きました。
日本百名山と山梨百名山の標柱の立つ山頂からは広い展望を楽しむことができます。左手には雲の上に頭を出した富士山。目の前には国師ヶ岳、北奥千丈岳と大弛峠。そこから続く稜線の先には点のような五畳岩を頭に載せた金峰山。その先の大きな山並みは急峻な岩峰をめぐらせた小川山。振り返ると恐竜の背ような岩峰を連ねる両神山。何時まで見ていても飽きない眺めです。
山頂からは三宝山を経て十文字峠へ向かうことにします。木の根につかまりながら鞍部に下り、登り返すと三宝山の山頂です。大きな三宝岩の上に立つとコメツガなどの木々に包まれた甲武信ヶ岳のどっしりとした頂がそびえています。
ここからは武信白岩山へと下っていく急な下り坂が待っています。コメツガの林の中をたどる登山道は苔むした倒木が目立ち、あまり日の光も差し込まないところです。たどり着いた鞍部には尻岩といわれる大きな岩。言われれば確かに大きな尻のように見える岩です。ここからは武信白岩山へ向かって急な登りが始まります。
コメツガの林の中を真っ直ぐに登る急坂に汗を流すと開けた岩尾根にたどり着きました。右手はかなり切れ落ちて高度感のある岩尾根です。ここはシャクナゲが多いところ。花の時期はピンクの花が咲き乱れるようですが、今は咲き残った花が幾つか残っているだけです。たどり着いた武信白岩山は大きな岩の積み重なる岩山です。しかし度重なる落雷で岩場がもろくなっているとかで、今は山頂に登ることができません。
ここからもアップダウンの多い尾根道が続いています。小さな岩のコブが幾つも登山道に立ちはだかり、疲れた足にはなかなかきつい縦走路です。やがて大山への登りです。見上げる岩峰を廻り込むように坂道を登って行くと、目に前に急なガレ場。固定ロープなどが欲しそうな急坂をよじ登ると大山の山頂へたどり着きました。岩の上から振り返ると、今下ってきた長い尾根道が続いていました。
大山の山頂からは鎖が張ってある急坂を下って行きます。コメツガの暗い林の中をたどる道は、木の根が網のように登山道を覆い、あまり歩きやすい道ではありません。途中、初老の男の人が先を歩いていました。聞けば将監峠、雁坂峠を越えて来たとか。非難小屋で宿泊し今日は十文字峠を越え三国山まで行くとか。今日この山で出会った人はこれで2人目。平日とは言いながらこの時期、この山域を訪れる人はあまり多くないようです。
やがて右手に栃本への道を分けると十文字小屋の赤い屋根が見えてきました。たどり着いた十文字小屋には小屋番の中年の人が一人。33年も山小屋を守っているというお婆さんは留守とか。この小屋は5月末から6月にかけての週末、シャクナゲを目当てに訪れる人で超満員になると言います。またこの山小屋も食料品などはボッカに頼っているとか。朝、毛木平から車で買出しに出ると、この先の八丁坂を登ってきても10時過ぎには小屋に戻れるとか。小屋番の仕事もなかなか大変なものです。
十文字小屋からは唐松林の中を八丁坂ノ頭に向かい小さく登り返すことになります。八丁坂からは沢に向かいジグザグを切りながら急な坂道が続いています。やがて木の橋を渡ると今朝登り始めた西沢の林道。ここから毛木平までは100メートルほどの道程です。
春先はシャクナゲの花に彩られると言う甲武信ヶ岳。しかしこの時期、目立つ花は咲いていません。それでも稜線には咲き残ったシャクナゲの白い花が咲いていました。