南平橋バス停11:15~健速神社11:25~浅間山駐車場12:15~権現山12:25/55~弘法山13:15~吾妻山分岐13:40~吾妻山14:10/15~堀之内バス停14:45~神明神社15:05~鶴巻温泉駅15:20
前回の関東ふれあいの道、鷹取山・里のみちに続き、弘法薬師と桜のみちを歩いてみることにしました。ここは何度か登ったことがある権現山から弘法山を結ぶ明るいハイキングコースです。
たどり着いた南平橋には関東ふれあいのみちの案内板が建っています。明るい秋の光の下にはこれから登る権現山、その山頂には展望台が見えていました。
畑の中をしばらく進むと健速神社(たけはやじんじゃ)です。現地の由緒書きによると明治の神仏分離令まで牛頭天王社と呼ばれ牛頭天王と須佐之男神を祭神としていました。
毎年9月の例大祭には健速神社の火祭りが行われるようで勇壮な火渡り神輿はたくさんの参拝客で賑わうと言います。急な石段を登った境内には火祭りに尽力した下大槻消防団の顕彰碑がありました。
東名自動車道を越えると住宅地の中を歩くことになります。お地蔵さんが祀られた傍にあった朽ちかけた道標から右に折れみかん畑の中を登りました。本来の道は少し違ったようです。秦野の街並みの上には青空の下に大きな富士山がそびえていました。
やがて権現山の山肌を登って行く道は浅間山公園の駐車場にたどり着きました。ここは秦野の街と富士山を一望できるところで桜の季節には訪れる人も多いところと言います。
権現山への道は右手の急な階段を登って行くことになります。まっすぐ登って行く急な階段に額からは汗が噴き出してきました。
たどり着いた権現山はたくさんの家族連れやハイカーで賑わっていました。唐風の展望台の先には白い雪を被った富士山、その前には矢倉岳から金時山、明神ヶ岳など箱根の稜線が続いています。
権現山の山頂は千畳敷と呼ばれ、弘法山、浅間山とともに弘法山公園としてかながわの景勝50選、かながわの花の名所100選、関東の富士見百景などに選ばれています。また現地の案内板によると付近には曲輪などの遺構が発掘されかつては城があったと推定されています。しかしその歴史も築城者も不明で、真偽のほどは調査中のようです。
展望を楽しみながら権現山の山頂で昼食を楽しんだのち、明るい公園の道を弘法山へと向かいます。
今年の紅葉は台風の塩害などで色付きが今ひとつと言いますが、道端のもみじやけやきは青空の下にますますその色を濃くしているようでした。
馬場道と呼ばれる鞍部からは東海大学前駅方面に下って行く道があります。山麓の瓜生野には百八松明(ひゃくはったい)と呼ばれる行事があり毎年8月の旧盆には五穀豊穣、悪疫退散を祈願して弘法山から龍法寺まで松明を担ぎ下ろすと言います。
緩やかな公園の道は弘法山へと登って行きます。たどり着いた暗い山頂には釈迦堂や乳の井戸、鐘楼などがありかつて弘法大師が山頂で修行したとされているます。
弘法山からは善波峠への道を下って行きます。善波峠はかつて矢倉沢往還が通っていた峠で東海道の脇街道、富士山や大山への参詣道としてたくさんの人が歩いていたと言います。
樹林におおわれた道を緩やかに下って行くと国道246号線方面への分岐、関東ふれあいのみちはここから新善波トンネルの連絡路をたどり終点の堀之内へと向かうようです。道端にはハイカーを相手にミカンなどを売る露店がありました。
我々は関東ふれあいの道の枝道をたどり吾妻山に向かうことにします。緩やかに下って行くと首都圏自然歩道・野菊くと信仰のみちの道標が建っています。この分岐からは善波峠を通り大山南尾根へと登って行く道が分かれていました。
雑木林に覆われた稜線の道は緩やかに吾妻山へと続いています。気軽なハイキングコースと言うことで子供連れやお年寄りなどのグループが鶴巻温泉を目指しています。
休憩所のある吾妻山は湘南の展望が開けるところです。現地の案内板によると日本武尊が海に身を投じた弟橘比売を偲ばれ「あずま・はや」と詠まれた地と伝えられるところです。
しばらく下ると鶴巻温泉への分岐です。我々はこのコースの終点である堀之内のバス停へと向かうことにしました。道を間違えながらたどり着いたバス停は国道246号線近くにあります。しかしバスは1時間に1本、バスの便はあまり良くないようです。
ここから鶴巻温泉までは市街地をたどり2kmほど、途中には神明神社や箕輪駅跡がありました。箕輪駅は古東海道の駅跡、奈良時代には足柄峠から小総(現在の国府津)を経た道が箕輪を通っていました。鎌倉時代以降の矢倉沢往還もまたここを通っていたようで古くからの交通の要衝の地であったと言います。
たどり着いた鶴巻温泉駅には弘法の里湯など温泉の幟がはためいていました。