松輪バス停11:55~間口漁港12:25~剱崎12:40~江奈湾13:30~白浜毘沙門天13:55~毘沙門海岸(昼食)14:10/35~盗人狩15:15~宮川漁港15:45~宮川町バス停15:55~三崎港16:30
神奈川の関東ふれあいの道は、三浦・岩礁のみちから始まります。太平洋の荒波が土削る三浦の荒磯を歩く道で小さな入江に架かる橋や岩の縁に付けられた細い道をたどるなど変化に富んだところです。
三浦海岸駅から京急のバスで20分ほど。たどり着いた松輪のバス停は田園風景が続く県道の途中で道標などもありません。畑の中に頭を出す剱崎の灯台を目当てに道を進むと間口漁港にたどり着きました。
港の外れには案内板があります。ここが関東ふれあいの道の出発点と言うところです。港にはたくさんの漁船が陸揚げされています。漁港をひと廻りした堤防の外れから荒磯の道が始まります。
太平洋の荒波に削られた荒磯は大地の隆起によって創り出された海蝕台地、荒磯の先には遠く房総の稜線も見えています。
剱崎と刻まれた石柱が建つ岬はかながわの景勝50選に選ばれたところです。ここは徳川幕府の官財を積んだ船が岬の沖で難破したとき、海南神社の神主が劔を海に投じ竜神の怒りを鎮めたことから名付けられたものとか、岬には剱崎神社の小さな社が祀られていました。
周辺の地層は黒い砂岩と白っぽい泥岩が交互に重なる三崎層と呼ばれる古い沖積岩で鬼の洗濯岩の名前が似合うところです。
深く浸食された入江にかかる橋は昨年の台風で流失したところ、波に強いと言うことなのか金網の橋に付け替えられていました。確かに高波や大潮の時は歩けなくなることもあるようです。近くを県道が通ているようなのか迂回路と書かれた道標が建っていました。
再び荒磯の海岸を進むと鬼の洗濯岩のような広い海蝕台です。その先には城ヶ島の島影が見えていました。
江奈湾は小さな漁港。2階建ての建物はみうら漁協の地魚料理松輪、魚料理が旨そうなところのようで駐車場にはたくさんの車が停まっています。ここでお昼にしたら良かったのかも知れません。
江奈湾の奥にはアシ原が広がる干潟、その奥から白浜毘沙門天へと続く坂道を登って行きます。道標に導かれ大根畑の中を進むと竹藪の中に毘沙門天堂があります。近くの人々の信仰の対象になっているようで本堂の脇には真新しいおこわなどが供えられていました。
ふれあいの道は再び荒磯を歩くようになります。広く開けた磯浜で打ち寄せる波の音を聞きながら遅い昼食です。三浦海岸駅のスーパーで買ったブリの海鮮丼ですがゴマの味噌だれで頂くのも美味しいものでした。
その先は再び波が打ち寄せる荒磯です。波打ち際に付けられた杭の上をたどるところもあります。岩がころごろと歩き難い荒磯の道をたどって行くと毘沙門湾です。県道が通る漁港には小さな児童公園もありました。
再びふれあいの道は荒磯を歩くことになります。ここは磯釣りのポイントのようで波打ち際の岩の上には釣人の姿も見えています。振り返ると荒波の先に房総の富山と伊予ヶ岳、愛宕山、さらに右手に続く稜線の先は館山の須崎のようです。房総の鋸山と剱崎は浦賀水道を挟み直線で15km、かなり近いと言うのが実感でした。
砕け散る荒波の先に城ヶ島を眺めながら荒磯を進むと盗人狩りです。深く潮が入り込む入江には小さな橋が架かっていますが、ここもまた台風で流されえたのか新しい橋に付け替えられていました。
海蝕洞が続く岩壁の裾を巻くように進むと見上げるような絶壁、断崖の端まで追われた盗賊が断崖と逆巻く怒涛に足がすくみ動けなくなり捕まったことからこの名が付いたとされるところです。
荒磯をたどる道はパイプが敷かれた狭い岩の縁たどり宮川湾に、波が静かな湾にはたくさんのヨットが浮かんでいました。
関東ふれあいのみちの道標に導かれ坂道を登って行くと程なく宮川町のバス停です。三浦・岩稜の道の終点はこのバス停です。
あまり便利の良くないバスは三崎港の先の三浦東浦まで行くようですが1時間に1本、低くなり始めた秋の日を浴びながら三崎港まで歩くことにしました。
たどり着いた三崎港は夕闇が迫り始めていました。何度も訪れたうらりマルシェでマグロを買い求めていくことにします。お勧めは頭身、マグロの脳天で1本のマグロから2本しか取れないものと言います。
ネギトロと赤身などと一緒に買い求めることにしました。今夜はネギトロ丼とトウミの刺身のマグロ尽くしの予定です。三崎口駅の駐車場に止めておいた車で自宅に戻ることにしました。